子門真人を褒めちぎる(3)

Watanabe's Pop Picks 103

「戦え! 電人ザボーガー」(「電人ザボーガー」( 1974年/製作・ピー・プロ/友映、放映・フジテレビ系)主題歌)

作詞:上原正三、作曲:菊池俊輔、歌:子門真人





 前回の(3)で書いたようなアンサンブル、引き締まった管楽器のアレンジをバックに、子門氏がソウルフルに哀愁のメロディーを聴かせる好サンプルといったら、これも。「電人ザボーガー」、これもまたリアルタイムで全部観たという記憶はないのですが、断片的には覚えているのは、きっと再放送時の記憶と混濁してるんでしょうな。それにしても、脚本は一部参加なのに、主題歌の作詞が上原正三とは驚き! 上原正三というと、金城哲夫とともに初期円谷プロを支え、「帰ってきたウルトラマン」でメインライターを務めた人。のちの「ロボコン」「ゴレンジャー」「ゲッターロボ」といった東映系の特撮/アニメで確固たる地位を築くのだけれど、私のなかでは断然「ウルトラ」の人。ウルトラシリーズにあったマイノリティーからの視点や、悲しみをたたえた作風は、特にこの方の貢献・・・という勝手な思い込みがあって、それがこの歌の悲しい旋律と歌詞、楽観主義にならないところとピタッと合って、妙にひっかかる。

 余談だけれど、小説にせよ、映画にせよ音楽にせよ、70年代前半の日本の表現物の多くに触れる度、何かしら強い哀感というか、悲しみが底に渦巻いている気がする。それは滅び行くものの悲しみとでも言うのか、昔からずっと感じていて、一体何で、何故なのか、今までも時折色々ものの本を読んだり、考えたりしていた。そこに引っかかるのはもちろん、子供の頃がまさにその時代だったからだが、その悲しみが今でも心のどこかで共振するのは、子供時代のうっすらとした記憶 -あさま山荘事件や、「列島改造」の名の元に、古いものがどんどん破壊され消えて行った視覚的記憶- が、今では一方で70年安保を契機とした変革の気運が単なるリンチ事件として処理される事で潰され、一方で権力側の横暴と管理がより進むことで国民全体に無力感が浸透し始めた時代だった・・・そうわかるにつれ、当時やたら多かった夕暮れの映像に託した想いを考えると余計切ないからだ。60年代半ばまでの闇雲なオプティミズムや、60年代後半の問題意識や改革への気運を経て、70年代半ば以降は陽だまり感・・・という風に、この国の時代ごとの容貌はどんどん変化して、先に書いたその悲しみは特に70年代前半に特に強く現れ、あっと言う間に表現物から消えて行く。日本全体がオプティミズムを失って行くのは、先に書いた管理強化や、高度経済成長の時代の終焉と無関係ではないだろうが、もっと気になるのはその悲しみが、何故こうもあの時代の特撮やアニメといった子供向け番組にまで色濃かったのか。それはやっぱり、時代の空気を吸っていたからだろう。殆どの当時の子供番組に関わっている人達のそれまでの軌跡や、その後の経路を考えてみても、覆いつつある閉塞感のなかで、誠実であろうとした表現者たちが、大人の世界で表現し切れなくなって来たテーマを子供の番組を隠れ蓑にして、託していたのだと思わずにはいられない。

 体制側の管理強化は70年安保の終了をもって以降激しくなる。また、資本主義のさらなる発展が競争の名の下に表現物のある側面での質の低下を招く・・・映画から娯楽の王道の座を引き継ぎながらも可能性を持ったメデイアであったTVももちろんその例外ではなく、あっという間に視聴率競争に飲み込まれ、質的低下を起こし始める。大人のドラマにおいて社会の不正や変革に真っ向から立ち向かうものは徐々に減って行き、刑事物でも学園物でも時代劇でも、体制を是とすることを前提にした作りが増えて行った・・・子供の頃親しんだものでも、今見返すとそういう作りの作品が年々多くなっていることに驚く。その先にあったのが80年代であり、私がアレルギーを起こしたのもまた、当然だったのだなと、今ではわかる。たぶん67年~72年ぐらいの子供向け番組が奇跡的に真摯であり得たのは、「ジャリ番組」とみなされたがゆえにその間隙を縫うことが出来たからだろう。その真摯な悲しみが、今は愛おしいのも事実なのである。


 その70年代前半の悲しみで符合するといえば、主演された山口暁(のち豪久)氏も何かそういう、悲しみが似合う役者さんだったと記憶している。前々回で書いた岸田森にも通ずる、どこか脆さと強さが共存していて、単にカッコ良いだけのヒーローの明るさ、単純さとは違う闇のようなものを、複雑な何かを子供心に感じる人だったということだ。当時もこの人どこかで観たことあるなと思っていたが、のちに、「仮面ライダーV3」のライダーマンこと結城丈二であり、「ウルトラセブン」の「栄光は誰れのために」のアオキ隊員であることがわかって驚き、大いに納得したものだ。どちらも翳りのある、性格俳優が似合う役どころだった。山口氏が既に20数年前、何と40代になるかならぬかで癌でお亡くなりになっているというのも、何だか悲しくもあり、しかし失礼ながらもこの伝説の俳優の物語にどこか相応しい気もしてしまう。


 ここでテーマにしている子門氏にせよ、80年代初めに亡くなられた岸田森氏にせよ、70年代前半の悲しみを伝えてくれた表現者達が、もし80年代を越えて90年代、そして今もご存命だったり、現役で活動してたら、どうなってたのだろうか・・・ そんなことをよく考える。時代に合わせて、軽く軽く変貌して行かざるを得なかったか、それとも本質を変えることを拒んでいたか・・・それはわからないけれど。

 それはともかく、生身の人間が作り演じるからこそあるあちこちにあるズレ、伸びしろと言うか、そのおかげで時に言葉にならないぐらい複雑で繊細な感覚を伝えられる、そんなポテンシャルが生き、表現者たちが真剣に子供向けの特撮番組に取り組むことで、時に意図する以上のものになっていた60年代末から70年代前半。その時代に居合わせたおかげでもらったメッセージは、決して子供向けのみに留まるものではなかったなぁと、YouTubeなどを観ては勝手に得心する深夜。



■「おれの兄弟 電人ザボーガー」(EDテーマ)
作詞:上原正三、作曲:菊池俊輔、歌:子門真人



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by penelox | 2009-04-30 17:39 | Pop Picks


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