神戸、大阪はもちろん、西宮、伊丹、川西、芦屋、尼崎、池田・・・家庭教師で毎日阪神間の色んな街に行く度に本当に思うこと。現在、阪神間のどの街も概して、元気があるとはとても思えないけれど。
それでも・・・
何より我が街宝塚が一番元気がない!
で、私に何が出来るかと考えてみると。
結局、この街について知ってることを沢山書いて行ったり歌って行くこと、作品で物語を紡いで行くしかないのかな・・・という結論になる。
何を歌おうか。
懐かしき宝塚映画のことか。
はたまた、宝塚映像制作の阪急ドラマに登場した私の家のことか。
愛すべき阪急電車か。
歌劇のことか。
宝塚ファミリーランドや動物園の想い出もいい。
恐竜展もいい。電車館や昆虫館、植物園の想い出も。
面影がどんどん消えて行く、昔の宝塚、宝塚南口、逆瀬川の駅やその周辺。
温泉街の華やかでどこか寂しい風貌
それとも、直接は知らないけれどダンスホール「宝塚会館」があったモダンな1930年代のことか。
戦時中の宝塚海軍航空隊のことも。
爆撃でたくさんの死傷者を出した川西航空機の工場とその後に出来た阪神競馬場のことも。
ウィルキンソン・タンサンのこと(これは私の家の歴史でもあって、前も書きましたが)。
朝鮮半島から来た労働者達が亡くなった武田尾のトンネル工事の事故だって忘れちゃいけない。
はたまた手塚治虫少年の目に映った炎に包まれた大阪も。
もっともっと昔に行って、清荒神と源平の戦いとか。
星に乗って観音様が集まって来るという中山寺と聖徳太子のこととか・・・(笑)
こういう、自分の中にある、色んなレベルでの記憶を纏め上げてお話にするというのは、実はずっと考えてることで・・・
それで地元が元気になるかどうかは別としても、自分たちの身の回りに埋もれている過去を拾い上げ、温かく物語に紡ぐということをやりたいんですよね。その地域にいなくても何か共有出来る精神的基盤というか、過去と現在と未来、日常と非日常を緩やかに結ぶラインというか、もちろんあまりに地域の誇りばかり強調して排外的になるのはまた嫌なのだけれど、でも、ノスタルジーも悪くないと思うんです。個人的にはそうやって、次の時代に過去のバトンを渡すというプロセスをキチンとやっておきたいんですよね。もちろんちっぽけなインディーバンドのやることですからたかが知れてますけれども、ごくごくささやかなレベルで。
・・・どうも言葉足らずですが(笑)、まぁそういう、妄想が駆け巡る、土曜の夜でした。
宝塚映画の歴史宝塚映画撮影所)
中山寺
宝塚温泉と文学(写真はダンスホール・宝塚会館/実はこの建物、家の前にあったんです)
手塚治虫の大阪を歩く