Velasquez And I / Would-Be-Goods

from "The Camera Loves Me"

相変わらず声が出ない。
にも関わらず仕事は休めないので、「え゛ーっ゛ど」とか「わ゛がる゛が〜?」とかやっている。おかげで、なかなか元に戻らない。また、そんな時に限って、理不尽なことが色々起こり...気持ちの面もバランスが悪い。これでは体調もなかなか戻らない。

歌えないので、暇を見つけては"Rock"、それにラスト曲となる"Looking"の歌詞の方を色々手直ししている。思いついた言葉、言い回しをメモっては残しておき、流れに合えば入れて行く。だいたいいつも、アルバムの終わりの方の曲になる程、後で聴くと曲/歌詞の出来として集中力が落ちてる感じがあるので、どうしてもそれは避けたいのだ。

ラスト曲の参考資料を購入、早速読みはじめる。カン・サン・ジュン、森巣博共著の「ナショナリズムの克服」。
アイデンティティー、特にナショナル・アイデンティティーについての話が刺激的で面白い。

体調のせいもあるが、あんまり油っこいものは今は聴きたくない。
という訳で、ウッド・ビー・グッズ。

モノクローム・セットにも通じる軽快な無国籍風ギターポップに、ヘタウマ女性Voが載っかる。さりげないセンスはあまりにさりげなさ過ぎて、気付かない人には全く気付かれないであろう。DIY的なギターサウンドも、パンクを通過した、ポストパンクな音だったのだ、実は。しかしそれも、この軽やかなポップサウンドのせいで気付かれない。

ネオアコというのは当時のポストパンク(バンクの先にあったもの、消化し乗り越えた音楽)であり、ニューウェーブのひとつだった。そのことが最近、どうも忘れ去られている気がする。

これを聴くと、エルのある部分が日本のネオアコ、的なるものに大いに影響を与えたのがやっぱりよくわかるなぁ。
でも、表層的に聴こえていても、実は深い深い、60's音楽や文化への愛情、そして自分自身の内面昇華に裏打ちされた表現だと痛感。自分の根っこにあるものをやっている感じなのだ。根付き方が半端じゃないと言うか...。そこにはやっぱり魂(ソウル)があるのだ。そして、ポスト・パンクに象徴される反骨精神。これがなきゃ、グニャグニャの軟弱BGM止まりになってしまう。

そのへんでやっぱり、日本のそういう音楽は、まず自分自身の根っこにあるものから始めるべきじゃないかなと思った次第。徹底的に自分を見つめ直すとこから、というか。それやらないと、良いものになりませんぜ、やっぱ。
そしてそれは必ずしも、メディアが流す「日本的ななにか」である必要はないのだ。


夜、昔教えていたK君より電話。
彼は高校時代に教えていて、ある大学に行ったのだが、面白くなくてやめてしまい、その後、アメリカのビジネススクールに入るというので、また今年春まで教えていたのだ。クリスマス休暇で帰って来たそうな。

彼に関しては、進路に関して私にも責任があり、後悔していたので、順調そうな声をきいてホッとした。
今はアメリカで元気一杯頑張ってるみたいだ。4年制の大学に編入する考えもあるとか。自分の頃と比べると、国境という垣根がどんどん低いものになっていて、ええ感じやなあ。



http://www.jttk.zaq.ne.jp/penelopes/
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by penelox | 2004-12-15 21:30 | Mike Alway related


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