カテゴリ:90年代( 17 )

Triumphant / My Life Story

from album "Mornington Crescent"(1994)

12/1

ブリット・ポップ再考、続編。

b0022069_15154978.gif現在はExileinside(イグザイルインサイド)というマルチメディア・アーティストとして活動している模様のジェイク・シェリングフォードが、ブリット・ポップ期にやっていたオーケストラ主体のユニット、マイ・ライフ・ストーリーのデビューアルバム。94年リリースだから、もう11年も前の作品。

ずっと気になりつつも、聴き逃していたアーティストだが、今聴いてみると、音自体はいかにもブリットポップをオーケストラに乗せた、という印象がひときわ強い。Voはスタイルとしてはパルプなんかを思い出すベクトルで、かつロックしたくてウズウズしている感じ。ハードなギターやサンプル、シンセの渦の中で暴れまくりたい、そんな方向を声自身がまだ求めている気がする。そこにバックがオーケストラ、というのがこの時代では新しかったのかも知れない。

オーケストレーションがまた極めてオーソドックスなもので、こちらの専門じゃない人が悪さしちゃいました、みたいな邪気や悪戯心、遊び心というのはあまり感じられない。緻密な悪だくみ的オーク・ポップというより、出会いがしらの衝撃を狙ったオーク・ロックという感じ、ただし70年代からあるそういうスタイルの音楽程のマニアック度はない、という。それは回りの人々のマニアック度もあって、たとえばアラン・パーソンズみたいな人がプロデュースしたら、もっと深みと暖かみ、そして妖しさとマニアックさがバランスよく配された気がするのだが。しかしこれは偏った見方かも知れない。

どうやら最も鍵となるのは歌詞のようだ。かなりひねくれてるというか、舌を出したおフザケ、反骨心が絶えず見え隠れしていて、真面目に芸術を追求すると言うよりは、取り澄まして無茶な事をポロッと言ったりするところにパブロックにも通ずるリラックス感があり、そういう英国伝統のおフザケ感覚がブリット・ポップ時代のオーソドックスなオーケストレイションと出会った...という感じかな。もしかしたら、オーケストラの人達は何も知らされずにただ仕事をしただけなのかも知れない。あるいはシェリングフォード氏も、自分が何を歌うかは最後まで伏せてたんじゃないかな。それで、最後の歌入れでみんな笑ってしまった、とか。そんな計画的な悪戯に思えてしまう。

「諧謔の貴公子、オーケストラをバックに無茶を言い」(字余り!)


ちなみに上に挙げた曲を一番良く聴いています。ようこんな事歌うわ、って感じでニヤケてしまうのです。

シェリングフォード氏のここでの現在の活動を見ると、今の方がより自然体なのでは、という印象を受ける。
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by penelox | 2005-12-01 05:15 | 90年代

Lucy / The Divine Comedy

from compilation "A Secret Histroy" (1999)

11/26

いわゆるブリットポップを聴き直す、というのも引き続き続けています。
このバンドの中心人物であるニール・ハノンはアイルランド人なのだが、英国に出て来てメジャーデビューしたのがちょうどそのブリットポップが盛り上がった90年代前半であったため、その中に入れていいであろう、ということでご了承いただきたい。


b0022069_14241317.gifダンテの「神曲」から取られたというディヴァイン・コメディー。バンド名ほどマニアックさ(狂気)があまり感じられない、という印象があったのだけれど、そのぶん親しみが持てる音楽、とも言える。このあたりに関しての評価には簡単に結論付けられないところがある。

もし、もっとマニアックな感性、はみだして来る狂気(と言うのも極端かも知れないが、背筋が凍るような一瞬とか)がそのポップな音の中にあれば、もっと強烈な印象が残るのかも知れない。しかし、それはあくまで80年代的な見方のような気もする。

ヨーロッパ、デカダン...これらを思わせるこういう名前で連想できる音楽はネオサイケデリックからゴシック、あるいはそんな匂いのある音楽...それらは80年代はもっと自分が聴いていたNew Waveという括りの中で、ネオ・アコーステッィクやギターポップと近接的に存在していた。だから、こういう名前ならこういう音、と簡単に決めつけてしまっているところがある。しかし90年代以降、そういった音楽は地下に潜るか、アメリカに渡ってヘヴィーメタル/HRとの融合を進めるか(グランジ/オルタナ)したように思う。このようなマニアックなバンド名だと、どうしても(なつかしき?)80年代的デカダン・ポップを予想して、それが得られないからもどかしい...きっとそういう事なのだろう。

中心人物のハノン氏は自分と同年代であり、聴いていた音楽も、こちらのサイト(勝手にリンクを貼らせていただきました。すみません。皆様、大変参考になるのでぜひ御覧下さい)を見ると非常によくわかる。こういう変遷を経てここまで来た人だと、ああなるほどな、と。バンド名をヘヴィーに取り過ぎていたのかも知れない、そんな事を改めて思う。


どこに力点を置いてモノを見るかで、音像は姿を変え始め、本当の意味で音楽の中(コア)に心が入って行く。音楽を手に入れる、自分のものにする、という経験において、ここに無上の喜びがあると思う。周辺の事、背景、作ったその「人」を知る事で、さらに(人間の基本的営みのひとつである)音楽の全貌に迫ることが出来ることを改めて感じる。


出色は冒頭の3曲"National Express"、"Something For The Weekend"、"Everybody Knows (Except You)"。そしてバンド編成の頃の1stアルバム(これが非常に聴きたい)の曲で公式的には最初のアルバムと取られている2nd "Liberation"にも収録された"Lucy"。これがやはり、80年代後半のギターポップの空気を残していて好きだ。REMが好きだったというのもよくわかるし、スミスの影響も強かったのではないだろうか。エドウィン・コリンズが初期シングルをプロデュースしていたというのもよくわかる。彼は当時A HouseなどSetanta(アイリッシュのバンドを主体にリリースしていたのだがこれは意図的なものだったのかな?)のアーティストを手掛けていた。当時自分のバンドPenelopesがいたレーベルRail Recordingsでは、彼を中心にSetantaの作品を出す、という話があったのを覚えている。結局コリンズ氏の"Gorgeous George"だけのリリースになってしまったようで残念だったけれど。

The Beautiful Southでもそうだったのだけれど、年代順に並べてくれた方が(もちろんそれは音楽的美しさの流れを考慮しての事なのだろうけれど)ありがたいのだけれど、活動の大雑把な流れを掴むのに適した好コンピレーション。
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by penelox | 2005-11-26 23:59 | 90年代

Song For Whoever / The Beautiful South

from compilation "Solid Bronze Great Hits"(2001)

11/21
最近、暇があったらとにかく歩いている。
現在の体力低下もそうだけれど、10年後が恐いから、というのもある。
50になったら、そりゃ当然今より体力落ちてるだろうが、出来るだけ落ち幅は小さくしたい。体力低下が精神力低下につながるのはわかっているから、それに対する対抗策と言おうか。パソコンは便利だが、そのぶんやることが増え過ぎて、うかうかしていると動かない時間が増えてしまってる。これが非常に恐い。

だから、仕事の移動中でも、時間があると一駅、二駅を歩いたりする。だいたい30分ぐらい。やり取りをしている方には申し訳ないけれど、これからは出来るだけパソコンの前に座る時間を減らそうと思っている、今後の健康のために。
当たり前だが、もう20代の若者でもないし、30代前半とも違う。そういう、年相応の健康管理を最近忘れがち。時間は確実に過ぎて行ってるのだから。


ビューティフル・サウスが、ハウスマーティンズの発展型と考える人も、今では殆どいないのではないのかな。いや、そもそもつながりがある事を知らない人や、ハウスマーティンズ自体知らない人も、今じゃ多数派なのかも知れない。

b0022069_1321936.gif
それぐらい、成功、活動の長さという意味で、比較にならないぐらい大きな差がついてしまった。しかし、質的には決して負けて無い...なんて思う私は圧倒的少数派なのだろう。

心というものは、過去のある場所で立ち止まってしまってる部分がどこかにあって、それを正しく認識するのは年々難しくなる気がする。過ぎて行く時間の長さが増えるにつれ、自分の生きて来た証の不確かさに不安を覚え、過去にとどまろうとする動きが働くのだろうか。しかし受け止めないと。時間は確実に過ぎて行ってる、残酷なぐらい。

b0022069_132241.gifこのベストを聴いていても、ボーカルにその要素が残っているということ、バラードがハウスマーティンズのそういうタイプからの延長線上にある、程度のことが窺い知れるだけで、残像を追ってると馬鹿らしくなるぐらい、よく出来た英国AORポップという感じだ。年代順に並べてない(何故?)ので、アーティストのモノ作りの変遷、もっと言えば心の流れの軌跡がブツ切りになっていて、そこが実にわかりにくいのが残念なのだが、まだこのバンドとしてのアイデンティティーを模索している89年頃の音源は、ハウスマーティンズ色が微妙に残っている感じ...これは間違いなくある。上の曲は特に、このコンピの中では際立ってそう聴こえる。しかしこのコンピ、そもそも入って無い曲も多い気がするのだが。昔ある人に頼まれて彼等の曲のリズムを打ち込みでコピーした事があったが、それも収録されてない。

徹底して男女のすれ違いを描く歌詞という意味ではスクイーズにも通じるけれど、男女の掛け合い的なVoスタイルで、両者の立場を対立的に描く、というのは、どこかミュージカル的。気持ち良い音像。でも、どこか物足りないところで終わる曲が多いのも確か。これは何故なのだろうか。ハウスマーティンズと比べると、社会への言及を意識的かというぐらい表立って出して無い気もする。これも興味深い。この印象を意識して、もう少し深く聴き込んでみようと思う。
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by penelox | 2005-11-21 23:59 | 90年代

All I Want / Toad The Wet Sprocket

from album "Fear"(1991)

11/15

アメリカをどう対象化するのか。

これは、事実上属国と化している日本に住む者として、必ず通らなければならない道だと思う。音楽に関して言えば、オルタナやヒップホップだけがアメリカの音じゃない...しかしそれは日本になかなか入って来ない部分、じっくり目を凝らさないとなかなか見えて来ない部分なのだが。

Jayhawks、Wilcoといったところが、アメリカにおける所謂オルタナ・カントリーの代表格となっているようなのだが、実際聴いた限りだと、カントリーというより、80年代のアメリカン・カレッジ系、REMの流れを汲むフォークロック...という印象である。それは、たとえばREMの中期以降の発展系というか、たとえばロング・ライダーズのシド・グリフィンがグラム・パーソンズを研究していったり、dB'sのピーター・ホルスアップルがフーティー&ザ・プロウフィッシュに関わっていったりとか、そういう流れに通ずる、どちらかというと知的な探究に近い感じで、そんなアメリカの地下水脈のひとつに、ちょっと本質とズレた名称が与えられているだけのような気がする。白人保守派の精神的拠り所としての「カントリー」(もちろん聴くべきところもたくさんあるのだけれど)の名をこんな人達に与えた事に、何か政治的意図を感じるのは私だけだろうか。そうやって動きにくくしたように思えて仕方ないのだ。

90年代のアメリカの音楽への評価、音楽メディアの意図には、かなり注意が必要だ。語弊があるかも知れないが、1990年以降、アメリカは事実上戦争中であり、映画や音楽といった文化が、文化帝国主義でもあるアメリカの、その先兵でもある事を抜きにして語るのは、逆に不自然なのだから。

そういう意味では、フォークロックの音像、これは日本人の私にとっては同時に、「アメリカへの信仰心」とでも言うべき、外にいる外国人にはとても認められない一点(なぜならそれが外への排外意識を形成するからだ)を含んでいるがゆえに複雑な思いにさせる。心地よく、引き寄せられるがゆえにかえって反発心を呼び覚ますのだ。

だから、完成され成熟したアメリカン・ミュージックよりも、蒼いまま、彷徨を重ねる段階の音楽の方がまだ良い。完成され窓をしめてしまったアメリカは恐い。常に新鮮な空気を取り入れたアメリカは希望を感じる。

トード・ザ・ウェット・スプロケットのどこまでも蒼い、蒼い音像。

b0022069_11553071.gif西海岸、サンタバーバラ出身の彼等、その音楽を一言で形容すれば「蒼いREM」。
デビューアルバムに感じた印象は、このサードアルバムでも変わらない。しかし若さゆえか、REMより熱いシャウトも聴ける。リベラル派のアメリカの若者の牙城のようなこの90年代初めの音はしかし、ずいぶん遠い時代の音楽にも聞こえる。ここにはグランジの殺伐感も、ヒップホップのストリート感もない。アメリカの90年代以降の繊細な大学生の青春ドラマ(しかも「ビバリーヒルズ青春白書じゃなくて、「フェリシティの青春」みたいな)が、どこか80'sを懐かしむような感じなのに似ている(実際、「フレンズ」に"Goon Intensions"が使われたようだけれど)。

80'sにカレッジ系音楽の定番となったフォークロックのアレンジの上に繊細で傷つきやすく、苦悩するVoが乗る。おそらくメンバーは大学生バンドの延長で、きっと半パンでステージには上がるようなタイプではなく(もしそうならやめてほしいが)、サブカルの趣味が良いという感じなんじゃないかな...そういう、またもうひとつのアメリカを象徴するような音。そもそもバンド名は英国のあの「モンティー・パイソン」のコントから取っている、ということを考えれば、なんとなくその趣味の良さというのもわかるのでは。

新しいか? と言われれば答に窮するけれど、REMのメジャー移籍以降の90年代のリベラルなアメリカを背負ったバンドだったのかも知れない。98年に一旦解散したが、また数年前に再結成して活動中の模様。ただの「アメリカン・ロック」として、完成されないまま彷徨する事を心から祈る。
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by penelox | 2005-11-15 05:15 | 90年代

Karma Police / Radiohead

from album "Ok Computer"(1997)

11/14

「渡邊恒雄 メディアと権力」、更に読みすすめる。
故・黒田清氏の言葉。

(渡邊の大阪読売・社会部のいわゆる「黒田軍団」を左遷人事など、あれこれと手を使って事実上解散させた策略に触れ)

「元凶はナベツネですよ。彼は東京発の新聞をつくりたくて、大阪(読売)を思い通りに動かしたい気持ちがだんだん強くなってきたんだと思う。そういう彼にとって私は目の上のでなく、目の下のたんこぶだったんだろう。彼が自分の言うことを聞かない者を次々排除していく人間だというのを痛切に感じた」

モノを売る現場の大変さというのも想像は出来る。
けれど、それは、「質」あってこそだと思うのだが。
ただただ発行部数にのみ血道を上げ、新聞の(権力の監視役としての)質を下げることに、どれだけの価値があるのか。
今はまだ、後世の審判は出ていないけれど。
しかし、ひたすら権力追従をやる新聞が、かつての戦争への引き金になった事を、80にもなるこの御仁はわからないはずもなかろうにな...。仕事帰りに電車で読んでて、実にむなしくなる。

ふと回りを見て。
右を見ても、左を見ても...
何も考えてなさそうな人ばかり。
気色の悪い笑みを浮かべているサラリーマン。
あまりにバランスの悪い会話を続ける高校生。実際はそうでもないのかも知れないが。

音楽というのはしかし、嫌になるほど無力なのか。
憂鬱が襲いかかって来る。
それをはねのける気概のない音楽を、今はあまり楽しめない。


90年代半ばのブリットポップというのは、確かそれを振り返る番組かDVDがあった気もするのだけれど、アメリカ産の「グランジ/オルタナ」が席巻する英国音楽業界の危機感から作られた意図的な新たなマーケット開拓の動きであって、「ミドルクラス」対「ワーキングクラス」、「北部」対「南部」、という、今まで英国音楽にさんざんあった構図をブラー、オアシスというわかりやすいバンド二つを頂点にした対立的構図として面白おかしくデフォルメすることで煽ったと、そういう事だったと思うのだが(もう少し色んな要素はあったとは思うけれど)、実際のところはオアシスが売り上げで勝ったとかどうだとか、ブラーがそういう動きから降りたとかで、音楽的質はあまり云々されることなく、一応その流れは終息した、ということになっている。

自分自身はそれ以降英国の音楽シーンはずっと同じパターンを小規模でやってる感じはするが。「ブリットポップ」というのは、「英国」を売りにした売り方の決定版であって、それ以上のやり方ってのはないのだ、考えてみれば。次に違う名称を考えても、最高に英国ぽさを出そうとすれば、それに近い名称になるだろうし。

だから、それはそれでもう、音楽業界の宿命として仕方ないとも思うのだ。
結局聴く側が惑わされずに質をちゃんと見抜けば良いだけで。

b0022069_112895.gifレディオヘッドは、そういう「ブリットポップ」の中で、どちらかというとグランジの影響下にあるギターと陰鬱なトム・ヨークのキャラクター、歌詞世界のマッチングが、欧米で絶大な人気を誇って、次第に70'sのピンクフロイドにも比する様な(?)大げさなある種のムード、中流白人の若者の「憂鬱シンドローム」を90年代後半にかけて形成して行った感がある。

私はというと、ブリットポップに馴染めなかった理由に、仕掛けのあざとさがあったので、レディオヘッドにもそういう不自然さがつきまとった。音楽自体は初期のジェイムスに通ずるような典型的な英国の暗めギターポップに過ぎないにもかかわらず(それ自体は好き)、その周りに色々くっついて来る「イメージ」や商品化された「苦悩」が不快で、他の同系列のバンドを差し置いてもっぱら彼等ばかりがバカ売れする状況の不公平さにも違和感がかなりあったが、しかしそれでも曲自体は、オアシス、ブラーよりは書けてる方だと思っていた。

そういう意味で、純粋に良い曲として評価できる、この曲。
周りにくっついて来るものを全部取り払うのにずいぶん時間がかかったが、ちゃんと評価したい。甘ったれたようにカーテンを引き、少しも陽の光を射し込ませようとしない音には、正直憂鬱からいい加減抜け出したらどうだと、イライラもするところもあるが、いずれ変化は来るだろう。自分としては、それが来るのを待ちたいと思う。
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by penelox | 2005-11-14 23:59 | 90年代

Parklife / Blur

from album "Parklife"(1994)

11/9

他の本と並行して「渡邊恒雄 メディアと権力」(魚住昭・著)を読み始める。
余りの面白さ(苦笑)に、他の本を投げ出す。

非常にスリリングに読める...フィクションとして読めば。
凄いなあと尊敬する...想像上の人物として見れば。
これほどの行動力と戦略に長けた策士はもう不世出だなと、感嘆を禁じ得ない...ジャーナリストと考えずに読めば。

しかしこれは、読売新聞という世界一の発行部数を誇る大新聞社の、メディアという権力を握る、新聞記者/ジャーナリスト出身たる実在の、まさに日頃メディアをにぎわすあの、「ナベツネ」こと渡邊恒雄氏を周囲への取材から描き出した、渾身のノンフィクションなのである。読んでるうちに、暗澹たる思いに囚われ始めるのは、これが現実だからである。

まだ読み進めている段階だが、改めて、権力と対峙し、その横暴を常に見張る「番犬」としての役割を、これほど最初から綺麗さっぱり持ち合わせていない、市民の側に対して果たすべき役割を、これほど新聞社入社の最初の一歩から一顧だにしない(権力の亡者たる)人間が、大新聞社の社長にまで昇り詰めたと言う事が、恐ろしいことではないと、この国の不幸ではないと、どうして言及されないのか、甚だ疑問。私はたとえば朝日が良い新聞とも、これっぽっちも思っていない(というより、どこの新聞も、十分に警戒して読むべき、そう思っている立場)けれど、こんな新聞、安かろうがお得だろうが、まともに評価できる訳がない。非常に危険。

プロ野球ファンも、そうでなくとも、必読。
これ読んで、それから読売新聞を読むのも良いかも知れません。そして、どのへんに彼の政治的意図が隠されているかを見つけるのも知的ゲームとしては良いかも知れない。

彼の遠隔操作はあちこちに張り巡らされている。たとえば、「TVタックル」や「たかじんのここまで言って...」といった番組で保守論客として活躍する三宅久之氏はナベツネの盟友である(というより、良き理解者、メッセンジャーか?)。

たとえば、ワイドショーによく出演なさっているジャーナリストの大谷昭宏氏をご存じだろうか。彼は大阪読売の良心としてよく知られた「黒田軍団」で黒田清氏(残念ながら数年前に死去)の部下だった人。「黒田軍団」は戦争についての独自の視点の記事が多く、高い評価を得ていたが、ナベツネによって潰された。そして大谷氏はいまだに日テレの番組には出ない。

また、最近エラいデカデカと広告が出た「渡邊恒雄回顧録」を出版した中央公論新社は、読売が買収した出版社。買収したのはかつて入社試験で落とされた私怨だと実しやかに語られる。前に書いた林信吾氏の件もあった。

このように実際、言葉にならない、表にあらわれないけど、プロ野球のみならずナベツネが絡んだ政治的動きというのは、たくさんあるのだ。彼の言葉、行動には全てある計算がある。自分が権力の中枢に居座り続けるための計算である。

だから、文化や芸術、という点に関して言えば、彼がたとえば野球というものに、何の愛情もないのは当然のような気がする。

たとえばナベツネは60年代終わりから70年代初めに3年ほど読売新聞ニューヨーク支局長だった。その頃のアメリカというのはホントに文化的に興味深い時代で、普通新聞屋ならそれぐらいは興味があったのかと思いたいところだが、まるでそんな記述はない。あくまで会社内での出世、権力闘争、さらに自民党内の権力闘争に終始しているだけで、ジャーナリストならここからスタートすべきである人間というものへの良心的理解とはまるでかけ離れている。こういう人間が真の意味で音楽を含めて文化や芸術への深い理解や愛情があるはずもなく、仮に音楽を聴いていたとしても、おそらく権威/体制の中での流行り廃りの情報だけを頼りに虚勢を張っていたのが関の山、という推測は秒速で成り立つ(えっ、新聞記者なんて所詮そんなものだって?)。

これを言うのは非常に空しいが、こういう類いの人間が非難されなかったのは、逆に言えば決して珍しいことではなかったからだ。つまり、あまりに急激に近代化を成し遂げた国の、余裕がないがゆえの貧しい文化状況があり、人間の有り様があり、そこは理解してあげなければと、手加減が入る訳だ。そして手加減している手合いは、実はある意味同類であり、ある意味個としての勇気、強度がなかった訳だ。そして、そういう心の貧しい人間たちがいまだに権力、メディアを支えているところにこの国の不幸があるといっても過言ではない。

最後の解説の、佐野眞一氏の言葉。

「しかし、読後に残るのは殺伐たる物語の後味の悪さである。... ここに展開されているのは、嫉妬と妄執と野心に身を焦がされた男たちの暗澹たる世界である」


こんな、今となっては前時代的な、全く外に開かれた視点のない人間たちが培って来た哲学、そしてそれをもとに作られた国家観、人間観が相当寒いものであるのは言うまでもないだろう。ただ知識を(見栄やかっこつけのために)吸収するんじゃなくて、それをもとにグランドデザインを描き、ある哲学を構築したい、その構築されたデザインの中から、真に良質な音楽が生まれると、思いたい...そう思っている人間からすると、全くの邪魔ものである。

音楽の話を例を出せば、たとえば欧米のバンドに比べて日本のバンドに弱いのは、まず個として突き詰めないところだ。それは人間としての、個の弱さとも言える。個の弱さの原因は、まず、社会と個、という概念の認識が曖昧だから...というより考えようとしない怠慢さから来るもので。それは、こんな、「ナベツネ」問題(というより、「ナベツネに好き放題させてしまう」問題)にもよく現れている。真の意味で勇気がないから、ディクテイター(独裁者)の登場を許してしまう。たとえばこの本に出て来る(しかし当時としてはごく普通な)出世競争にかまけて考えることをやめた人間はすべからく個としての強度がない訳だ。ジャーナリストとしての矜持も、勇気もない。それは今の時代、ある教訓として忘れてはいけないことなのではないだろうか。

個の意識があるからこその集合体としての社会も認識できる...ゆえに社会にグランドデザインが描けるのではないのか。個を意識するから、たとえばファシズムにも対抗できるのだ。日本が戦後60年経ったにもかかわらず、戦争の危機がこんなにも簡単に訪れてしまうのはここに原因があるのではないだろうか。曖昧とか、関係性の中に人間があるとか、日本独特の認識方法がよく云々されるけれども、積極的、戦略的に選び取った
ものではないのだから、それを用いて...なんてレベルにまで行って無いのは明白だ。これはイマドキの、「ネオ日本回帰趣味」の若者の恐いところでもある。自分のアタマで考えないから、簡単にムード・ファシズムに流されてしまう...そんな危なっかしさを感じるのだ。

b0022069_1923251.gif「ブリット・ポップ」の中では「戦略度」が一番強かったブラー。初期の彼等、曲そのものは無骨で洗練されてない単調なものが多いし、さりとてシンプルゆえの深みも味わえないという、誠に聴きにくい音楽という印象だった。かと言って2ndあたりからの3枚はというと、80's New Waveをザッと掬い上げて薄味に料理した感がなきにしもあらずで、結局良い聴き手になれず終いだったが、戦略的あざとさを忘れて、彼等の音楽の多くのつぎはぎ感に目をつぶれば、残る曲はいくつかある。上の曲はまさにそんな、キンクス、マッドネスの系譜に入る曲。アッパー・ミドルのロウアーぶりっこに、反発も出たが、あれほどヒットしたのは、その折衷風味に共感したアッパー・ミドルが多かったからだろう。英国社会の当時の変容を考えれば、まさに、うたは世につれ、という気がする。
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by penelox | 2005-11-09 17:15 | 90年代

Wonderwall / Oasis

from album "(What's The Story)(Morning Glory?" (1995)

11/4
「関西人の正体」(井上章一・著)、再読終了、「英国ありのまま」(林信吾・著)を再読開始。本の読み直しというのが好きだ。それも、数年経ってからまた読むのが良い、あれ、こんな内容だったかな?ということがたくさんあって、それでまた、その本の印象が新たになり、記憶も鮮明になる。

前者は、少し前の本なので(阪神大震災より前)、神戸に関する記述が抜け落ちたままになっているのが残念だが、いまだに雨後のタケノコのごとく次から次へと登場する薄っぺらい「関西論」並びに「関西ナショナリズム」に対する、著者独特の違和感、アンビバレントな立ち位置が改めて感じられて良い。後者は、これまたチマタに蔓延する「英国絶賛本」に対するカウンターになっていて、面白い。

にしても、この本、「中公文庫」から出ていて、あとがきに田原総一朗が出て来てヨイショしているのは、ちょっと怪しい気が。というのは、著者のあるエッセイ本がかつて、中央公論社の読売による買収の際、ナベツネに遠慮して(著者に無断で)勝手に一部の原稿(読売批判の項)を抜かれたという話を読んだから。それに抗議した著者が原稿を引き揚げたとか...詳しい経緯はまたどこかで書きたいけれど、そういう事があったらしい。田原が最近ナベツネとの対談本(というよりヨイショ本)を出していたことを考えると、これ、ナベツネの差し金(あるいは遠回しな打診で)懐柔策として田原があとがきを書いて手打ちにしたとか、なんかそんな風にも取れる。

考え過ぎか? 後で挙げる本を読むとそうも思えなくなって来るのだ。



最近はブリットポップも真剣に聴き始めている。
当時は正に脇目もふらず自分の音楽創作に夢中で、このあたりは正面から受け止めていなかった。既視感というか、あんまり新鮮味がない音楽が多かったのも事実だが。80年代に60年代まで辿ってしまうと、いわゆる「ブリットポップ」にはなんら新しいものは感じなかった。言い換えればつぎはぎのリメイクにしか聴こえなかったのだ。しかしそれは、90年代に音楽を作るものの宿命という要素もあって、それが自分の立場ではわかり過ぎるぐらいわかる...近親憎悪であり、同世代としての歯がゆさもあった訳だ。そしてあまりにシステマティックな商業主義のあざとさ。これが余計音楽そのものを受け取りにくくさせていた。

オアシス。
いまだにそんなに良い曲が多いとも思っていないバンドだが、2ndアルバムのこの曲と"Don't Look Back In Anger"は残る曲だと思う。彼等のレパートリーの多くは私にはちょっとヒネリがなさ過ぎて、せっかくNew Waveが営々と築き上げて来たものを全部無視したような屈託のない60's/70's引用趣味(それならNew Wave勢の方がひねったぶん遥かに愛情を感じる)に、b0022069_1428616.gif私(悲しいかなオアシスと同世代!)は正直恥と感じ、その深みのない先祖帰りに反発も覚えたものだが、下の世代は(そのNew Waveの築き上げたものを否定したかのような態度に快哉を覚え)「はじまりの音」「自分世代の音」、とみなしたであろう。

90年代の「グランジ」「ブリットポップ」というのはある種の分岐点だった。ロックにおける「ムーブメント」というものが、「世代交代」という名のもとにあそこまであざとく新規開拓的、商業的エッジが効いてると、かえって前世代の多くは音楽自体を評価する気もおきなかったのではないか。音楽というのものは、そうやってまずマーケティングありきであって欲しくない...そう思う人は多い。何故なら音楽というものの内部に込められた思いや夢が、単なる商品であることを拒絶している場合もあるからだ。

もともと音楽を作りたい、音で何かを表現しよう、という行為は人間の太古の昔から綿々と続いてきた、ある種プリミティヴで人間独自の営為であり、一方音楽を商品として売るようになったのは、まだせいぜい20世紀になってから本格化した歴史の浅い行為だ。人間にとってこのやり方を突き詰めて行くことが本当の意味で、長い目で見て得策なのかはまだ答えが出ていないのである。だから商業主義が(どう変容しようと)本当に人間を幸せにするかどうかは、常に見張る必要があるのではないだろうか。

音楽は、買って消費し、捨てるような類いのものであってはもったいないと思う。販売される表現というものは、(皮肉な事に)商業主義に対して、その内部から見張れるのであり、そこには他の消耗品とは違う可能性が内在していると思う。「グランジ」「ブリットポップ」を消費した当時の若者が、それに気付いていたのか、今その年代をみても非常に懐疑的にならざるを得ない。納得の行くその世代の音楽評さえ、見たことがないからだ。世代間論争など不毛だが、やはり単なる気分や10代の思いのたけだけでは音楽の核心には触れられない。

音楽(というか、表現)の本質をしっかり見据えないと、状況はますますひどくなるばかりだ。今や商業主義は既に日常にまとわりついているもうひとつの皮膚のようなものなのだから。これは自戒を込めて。

まあともあれ、10年経って、当時の状況の不快さから離れ、やっと「ブリットポップ」を冷静に聴けるようになるような気がしている。
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by penelox | 2005-11-04 17:15 | 90年代

Save It For A Rainy Day / The Jayhawks

from album "Rainy Day Music" (2003)

10/15
The Pale Fountains "Pacific Street"を聴く。改めて良い作品。
昔は2ndの方が良いと思っていたが、1stも2ndも両方良い作品だなと。またじっくり書いてみたい。

10/16
ロバート・ヴォーン、ウォーレン・ビーティーの事を調べていて、思い出した事。
リベラルなアメリカ...または、アメリカン左翼...最近このへんの流れを忘れていた気がする。

たとえば小泉首相が好きなアメリカというのは、個人的には相当薄っぺらいというか、表面だけを見て語っている印象がある。
例として、あのハリケーンの被害にあったニューオリンズのことなど、彼がどれほど興味を持っているのだろうか、はなはだ疑問だ。彼が語っているのをきいていても、白人エスタブリッシュメントのアメリカにしか興味がないのは、明らかなんじゃないだろうか。

そもそもエリートとしてアメリカに留学する人間は、そのへんに骨抜きにされて、アメリカに対する批評眼を失って帰国する人間が非常に多い。そういうバランスの悪い人間が、アメリカを賛美し、アメリカ的価値観や自助努力ばかり強調する...言ってみればアメリカの権力中枢のスポークスマンと化したような人達がたとえば今回のコイズミ・チルドレンにも多いし、最近の若手学者にも多い気がする。最初から不公平(財産、地位、世襲など)による特権に守られた人間ほど自由競争を奨励しているというのはしかし、大いなる皮肉。

だから、コイズミのブッシュ政権追従に異議を唱えると、必ずかえって来る、いや、アメリカはもっと色んな側面がある、といった批判。そのバックラッシュの方向性にはどうしてもウソ臭さ(アンタが言うな、というやつです)と違和感を感じるが、しかし、事実としてアメリカと言っても色んな側面があり、自分が信じたいアメリカも確かにあるのだ。

公民権運動のアメリカ、ベトナム反戦運動のアメリカ。その流れもある部分引き継いだNew Yorkパンクのアメリカ。ペイズリーアンダーグラウンドからカレッジ系初期に至るアメリカ。ヒップホップの中でもネイディヴタング派(?)のアメリカ。知性あるアメリカ。社会的弱者救済への視点を持つアメリカ...。

このへんは90年代のグランジ、オルタナ、ギャングスタラップの流れで見えにくくなっているけれど、消えてなくなった訳では決してないと思う。

メロコア、エモ、スローコアからエレクトロニカの流れに関してはいまだ懐疑的な私だが、あの、左のアメリカの泉は枯れて無いと思う。左というのは別に共産主義を標榜しているという意味ではなく、反ネオコン、反米国国粋主義、反市場原理主義、反不平等主義の象徴として、あえて言えば欧州的社会民主主義に近い立場として言ってますので念のため。もちろん矛盾があるのは承知の上で。

カントリーロックというのは頑迷な保守の牙城にみられがちだが、実際はそうではない気がする。そもそもバーズからしてある種の実験だった訳で。それが次第に形式化、様式化し、閉塞化してしまったのだ。それを見失ってはいけないと思う。

ジェイホークスはどうもそういう保守派のイメージが一般的には貼られそうだが、b0022069_15372756.gif実際聴くとそういうのではないような感じ。オルタナ・カントリーロック、というのは左のカントリーロックなのであろうか。歌詞はどうなんなだろう。このあたりは久しく聴いてなかったので、また攻めてみようと思う。上に挙げたこの曲はとても良い曲。

10/19
ニューアルバムのジャケットデザイン到着!
エル・グラフィック、オールウェイ氏、それぞれに色々問題があった末なので、感慨もひとしお。そして出来も素晴らしい。"Eternal Spring"よりさらに良い感じ。自分のものなのに感動してしまいました。

来年の初夏をメドにリリースする予定にしています。
皆様、よろしくお願いいたします。

午後からはいつものように高校生にコキ使われる。


10/20
今日もコキ使われてヘトヘトの極み。もう少し自分で考えて勉強しなはれ。

10/21
元ドラマーのナッシーと一年振りに会い、食事。
work、work、workで、お互いのタイミングが合わず、すいぶん久しぶりになってしまった。お互いに色々あった末に、こうやって普通に会えるようになったのは素晴らしい事。次のライブではまた、叩いてもらう予定。ただ、あくまで無理はしないで、と念を押しておく。仕事があってそれほどじっくり話せなくて残念。

10/22
法事で、久々に親類と。
やはり前にお会いしてから数年経っているがわかる。
こちらも仕事で途中退席。生徒さん、ビデオで貸した「スタートレック・Next Generation」にいたく感動していた。

10/23
iTUNESの登録にバタバタ。記入事項がややこしいの何の。
仕事もバタバタ。mixiもたくさんメッセージをいただいている。
ブログだけがひとりほったらかし。
なんとかせねば....

10/24
ブックレットデザインについて、ああでもないこうでもないと、知恵を絞る。
あんまり情報量がない方が、面白い気もする。

10/25
MOディスクとともに、アイデアを日本でデザインを担当していただいているLazy Catさんに送付。アメリカの良質(ルーツ寄り)ポップを届ける好レーベルをやられてもいるだけに、最近ちょっとリリースが止まっているのが残念。
お互い頑張りましょう! !


10/26
日本シリーズ、終了。
やっとTVで観れたと思ったら...。情けない。史上最低の日本シリーズではないか。
まあ正直プレーオフの弊害もありますね、これは。エンジンが暖まった状態ならこんな試合に絶対にならなかったと思う...
今さら言っても負け惜しみか。

ちょっと最近のブロ野球はおかしいですわ。楽天やライブドア、巨人、オリックス、コミッショナー、村上ファンドとか、金の亡者ばかりでホントウンザリ。選手がかわいそう。

しかしあの村上世彰氏、雑誌だと父親が台湾華僑の方とのこと。ホンマかいな。しかし、そう言われると何故か納得出来てしまうのも悲しい。

10/29
John's Children "The Legendary Orgasm Album"
クレジットにMike Alwayの名を発見。
なかなかいわくつきのアルバム、興味深い。
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by penelox | 2005-10-30 15:41 | 90年代

Sweet Sweet Day / The Playmates

from maxi single "Sweet Sweet Day 33 1/3" (2001)

10/6

猛烈な腹痛に苦しむ。たぶん風邪が腸に来たのだろう。次の仕事への移動中、痛いの何の...。しかしなんとか薬を飲んで授業中は治まる。

「...どおりで今日はセンセー、えらいテンション低かったですねー」。
普段どんなテンションなんやねん、私...。

これは! と思い購入しておいた色々なCDを聴く。
今の心理状態にピタッと合うものがなかなかない。たぶんそれに合う精神状態の時に聴いたら良いんだろうな...と思い、そしてそんな状態になることが1年のうちにほとんどないことがわかってる場合、当分寝かせることになる。
そんな中で。

心を吹き抜けて行く一陣の涼風。ホリーズ、スポンジトーンズに通ずる、鮮やかなコーラスと瑞々しいメロディーで聴かせる、曲の端々からセンスがはじけている良質ポップロック。b0022069_1242037.gif今も日本のインディー・ギターポップと呼ばれる動きはあるけれど、本当に聴く価値のあるグループはそんなに多く無い、悲しいがそう言わざるを得ないのだが、そんな中の数少ない例外がこのPlaymatesやTreeberrysだと思う。





10/7

「謎の円盤UFO」、終了。改めて、やっぱりこの時代のSFの方が面白い...。

そしてここ数年、アメリカ産SFドラマに、ほとんど何も期待しなくなっている自分にふと気付く...その事が悲しい。しかし理由もわかっているので、どうしようもない。きっと良いものもあるんだろうけれど、自分が良いと思うものはきっとヒットしないんだろうな。

昨今のアメリカ産のSFには、アメリカの人々の心理が色濃く反映している。それが無意識の不安や恐怖心として、ある時はおどろおどろしい造型や、目眩をおこしそうなCGに表れていたり、ある時は癒しとしての勧善懲悪的な単純なストーリーを求める流れになっているのだ。そして、簡単に言えばそのアメリカ人の不安に対し、まるで世界中で共感しなければならないように意識の収奪、操作が進んでいる...巨大なハリウッドのシステムによって、我々がまるで同じように不安がらなければならないように日々しむけられているのだ。

その流れがどうにも納得が行かない。アメリカ人の不安は、アメリカの蒔いた種なのだから。外交、内政、もっと個人レベルにいたるまで、ある視点が欠けているがゆえの不安なんじゃないのか、そう思えてならない。

たとえば今でもアメリカではイラクからの撤退運動をやってるけれど、その方法論を見ていてたまらなくなるのは、自分達が迷惑しているから、困るから、であって、(大量虐殺され、いまも苦しむ)イラクの人々を同等の人間として捉えて抗議してるようには見えない事。まるでかの地には殺されている(同等の)人間がひとりもいないかのような...。それが、たまらない。まるであそこで踏みにじれられている人間は、送り込まれている米兵より劣る生物であるかのような。アメリカの普通の人々は、イラクに住む人々を自分たちと同じ、普通の人々、そう捉えられないほど想像力がない訳?


で、日本人としての立場で考えても実にたまらない。日本がやってるのは属国としてのポジション以外の何ものでもないから。強い方に巻かれてりゃラクなんだろう、しかしそれでは今ある悪循環の手助けをしているのと同じだと思ってしまう。悪い事をしても責任を取らない、力に任せて弱者をいためつけ続ける、強者の側に立っていればどれだけ卑怯なことをしても許される...日本が、アメリカにいつもピッタリ寄り添うことが、もし、日本社会にあるそんな不健全な空気が満ちている要因なのだとしたら、日本人として「アメリカ人の不安タレ流し」を無批判に容認していて、ほったらかしていて済む問題ではないように思う。何しろ、イラクのような国を民主化する口実に使われているのが、「日本イコールアメリカによる民主化という成功例」なのだから。アメリカ式の民主主義を上から植え付けることによって、アジアに自由と平和をもたらす...それが成功した例として利用されているのが日本なのだから。その方法論が、その後世界各国に難くせを付けては武力介入する、その際の理由付けとして強力に機能しているのだと思うから。

だが、民主主義というものが押し付けで機能するものでないことは、この国に住んでればイヤというほどわかる。民が何も考えてなければ、指示待ち族ばかりになれば、「民主的に」ファシズムにだって、なる。

小泉首相の「ワンフレーズ・ポリティックス」というのは、偏差値40台ぐらいの学力程度の人達に焦点を定めて、彼等にわかるように周辺が智恵を絞って、リサーチした末に考えだされたそうな。


10/9

世間が休みの時ほど猛烈に忙しい。学校を辞めたくて仕方ない子を説得、励ます。確かにこの学校は無茶だが、変わる訳がない。学校は生き残るための企業努力をしているだけ。ドコドコ大に何人...という数字を増やすためだ。TV局の視聴率と同じ。だから、それを、まだ15,6だろうが何だろうが意識すべきなのだ。学校は君ひとりの事を考えて動いているんじゃない、ということ。正直甘ったれているけれど、どちらにしても辛酸をなめなきゃいけない。ある程度決められた場所で、頑張るしかないのだ。諦めるのではなく、反骨心と知性は失わないで。
それをアタマごなしではない形で、わかってもらうしかない。

ここで道を踏み外すのも、また自由で人間らしい生き方だとか、そんな見方もあるだろうが、それを言う人間は、結果論である。そこまでの勇気も度量も視野も、才能も、そして環境にも恵まれて無い子の方がじっさいのところは殆どで。
とりあえずは、今の環境でベストを尽くせ、ただし何も考えない人間にはなるなと...それが、こちらから言える精一杯の事。ようやく、ある程度納得してもらえた模様。

仕事が終わって、弟夫婦と前から約束していた焼肉。
元・阪神の湯舟投手が経営している店で、選手の写真が飾ってある。

ここに来るまでがヘトヘトだったのだが(なにしろ最近妙に疲れやすい。目もすぐに固まってボヤケて来るので、数時間おきに眼球のマッサージをしなきゃいけない。悲しい)、焼肉食べたらちょっと元気になった。
弟夫婦、ワリカンで申し訳ない。

そしてこの日は、やり取りをさせていただいているある女優さんの大阪でのパーティーだったのだが、そういう訳でお邪魔出来なかった。どうもすみませんでした。次回はぜひ!

10/10

Mike Alway氏にやっと連絡がつく。
彼は天才肌。ということは、ビジネスライクではない、ということでもあり、色々と計算が立たない時もある。素晴らしいセンスがあるだけに、また、仲良くもさせていただいてるだけに、どうしてもジャケットは仕上げて欲しいのだが、諸般の事情でずいぶん遅れてしまっている。

よく彼のデザインに関して、ゴテゴテし過ぎ、とか、ファッショナブル過ぎ、という意見もあるけれど(私もそういう見方をしていた時期もあります)、実際のところは、彼自身が実際にやっているというよりも、彼のディレクション、なんですよね。
だから、常に実際のデザイナーが作った作品の中に彼の思う世界が反映されるだけであって、全部が全部彼の作品、とはいえないかも知れない。それが悪い、というのではない。そういう方法論が面白い、と思うのだ。微妙にピントがあってないけれど素晴らしい写真というか、人が複数絡む事でうまれる化学変化というか。

それのある部分が「渋谷系」として定着して行った訳だし、昨今のpoptonesではああいう色合いの作品になった。色々あって、今度の作品はデザイナーが変わりそうなので、また違う肌触りの、しかしオールウェイ氏の世界が反映されたものになるんだろう...。

なんとかジャケットを完成させて欲しいなぁ...。

10/11
Heaven 17 "Industrial Revolution"。
Tさんにいただいたヘヴン17のプロモクリップ集。う〜ん、この時代がなつかしい。やっぱりというか、思った通りというか、非常に社会的、政治的。「産業革命」と銘打ちながら、その中心であった本拠地シェフィールドの街、工場や鉄道等の写真を並べ(これが結構侘びしさを募らせる)、いかに産業が人間を搾取しているかを皮肉に描いて行く..まさに80年代的。素晴らしい。


"Crushed By the Wheels Of Industry"なんて、凄いタイトルの曲もある。
こういう社会民主主義的な思想的背景が、自然とポップの中に反映されるから80年代英国の音楽は好きだったのだが、はたして今はどうなのかな...。そういうものが音楽からヴィヴィッドに伝わって来なくなって、もうずいぶん経つ気もする。また、日本に当時このメッセージがちゃんと伝わった形跡も微塵も無いけれど...。すべて消費主義に取り込まれ、食っては捨て、食っては捨てをされて今に至る訳だ。

10/12
ロバート・ヴォーン主演の「プロテクター電光石火」に、ついこないだまで「謎の円盤UFO」で主演のストレイカーを演じていたエド・ビショップが精神に異常をきたしたベトナム帰還兵の役で出演していたのでついつい引き込まれる。mixiにも書いたけれど、このあたりのドラマは面白いなぁ、しかし。また、この頃にくらべると、70年代末から80年代は英国発のドラマってのが、あんまり入って来なくなった記憶がある。今でも、日本に入って来る英国ドラマってのもかなり限られてる。で、自分が思う英国ぽさが、確実に減っている。ブリット・ポップの作為性(曲単位だと良いものもあるが、全体として)に近いというか。それに、シット・コムとかだと、いかに現代英国人の生活が身勝手でメチャクチャか(苦笑)をこれでもかと出して来るので、観ていて疲れる時もあるし。

70年代前半までのドラマって、どこかにロマンがある。日本でも、どこでもだが、これが何なのか、とても気になる。

10/13

またしても身勝手かついい加減な生徒に疲れる。毎日毎日抜けだせないトンネルだなぁ、これは...。曲もとまったまま、何も出来ない。このトンネルが、どこにつながっているのか、まるでわからない。
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by penelox | 2005-10-14 12:50 | 90年代

Three Crosses / Liberty Horses

9/5
いつも通りに教えに行き、部屋に入ると何と私の歌声が。何ごとかと戸惑う私に、満面笑みのアメリカン・フットボーラー。

なんと私のアルバム"Eternal Spring"をかけているではないか。別の生徒さん(彼の友人)から私のCDが密かに渡っていたのだ。
1曲めが特に気に入ったとのこと。
大変光栄、しかし恥ずかしいことすんなよ...。

9/7

今日の授業、何を話したか思い出せない。口だけが勝手に仕事をしていた感じ。

思い出せるのは、ゴルフ部のキャプテンとなって部員を引っ張るこの子、成長して非常にしっかりした人間になって来たなぁということ。2年前は母親の馬鹿さ加減に涙していたのだ。それを考えるとよくここまで来たと思う。もちろんまだまだ若いから今後挫折もあるんだろう。けれど素直に嬉しい、TMレヴォリューションが好き、という唯一の欠点をのぞけば(笑)。
まぁガンダム好きだから仕方ないけれど。

そんな嬉しいことと、とてつもなく悲しいこと。全く逆の感情がいま同時に心にあるので、訳がわからない。まさに人生はローラー・コースター。

XTCの"Apple Venus"とLiberty HorsesのMaxiシングル"Believe"を偶然発見、購入。こういう出会いも大事な事。またじっくり聴いてみよう。


9/8
体調は良く無いし、眠れない。
どちらかというとこれは精神状態の問題で、今どうこうなるものではない。時間が解決することだ。

それにしても、Mixiで色んな方に見つけていただけるのはとてつもない僥倖。
何かを失うまさにその時に、また何かを得る...自分の人生を振り返っても、いつもそうだった気がする。不思議だ。


9/10

星野SD続投決定、そしてボロ勝ちで阪神マジック点灯。
読売にしたら、星野に「ぜひやってみたい」、そう言わせたかったのだろう。で、そんなにやりたいのなら...みたいな形にして恩着せがましく上から要請する、という、そういう構図にきっとしたかったのに違いない。下手に出てお願いなんかするとフロントの立場が星野より下になってしまう。そうすると色んな事を暴かれて改革、つまりナベツネの影響力排除、という流れになってしまうのだから。あくまで自分達の影響力を残せる形にしたいのだろう。さすがナベツネ。しょーもな。

今回は無理だっだが、たぶん来季以降、巨人が低迷したら数年はあの手この手で揺さぶって星野に言わせようとするね、あれは。しかし、そもそもナベツネ本人が居座ってるから巨人はダメなのにね。一番問題なのはフロントなのに。アタマが良いのと、自分をリストラできる勇気とは違うものなのだ。

たぶん来年は原か江川でしょうね。岡田対原でも、岡田対江川でも、どっちでも面白い。清原、ローズは楽天かオリックスに行くべきでしょう。

9/11
総選挙の投票日。
日本人って、ホントに、骨の随まで自民党が大好きなのね...。

(後記)

思うに小泉首相が言っていた「政治改革」ってのは要するに「自民党改革」だったんですな。今回の選挙は結局他の党は蚊屋の外で、とにかく田舎の自民党、地方利益誘導型イメージの自民党を都市部の無党派層向けにモデルチェンジするためだけに利用された、という。結果イメージだけ、見た目だけのイメージで選挙に勝つ方法論をついに自民党が手に入れた、ということですね。で、これによって民主党は居場所を失ったと。

だから、今回のボロ勝ちの結果に、なんも考えんとただ「何かやってくれそうだから」(何をよ?)と自民党に入れた無党派層はちょっとこの結果にビックリしてるはず。しかし数年後の選挙の頃にはもう忘れてるんだろうな...

私としては、まず政権交代が起こって欲しかったのだが。それでたとえば民主党を中心とする政権が出来ても、必ず内部での意見対立やボロが出て来る...そこでまたシャッフルすればいい...そう思ったのだが。

これでまた日本のアメリカ属国化が一歩前進しましたね...。日本人はアメリカという国の恐さにあまりに無防備。政治意識のあまりの低さに悲しくなります。



上の曲は、Liberty Horsesの3曲入りMaxiの最後の曲。これが一番良い感じでした。生楽器のグルーブが心地良いです。英国フォークの重鎮イワン・マッコールの息子ニールとカラムの兄弟を中心とする、90年代初めにラフトレードから作品をリリースしていたバンド(今も活動してるのかな?)。b0022069_20405797.gifと、言うことは、あのカースティー・マッコールの兄弟、ということになりますね。

内容はというと、派手さはないけれど、アメリカン・フォークミュージックや英国トラッドなどを吸収して生まれたのであろう、ポップと言うには実に生真面目な、誠実さが伝わって来るルーツ寄り音楽というべきか。90年代初めのラフトレード、なおかつ元バイブルのブー・ヒューワーダインも参加してるからか、ネオアコースティックのその後....的な匂いもあります。
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by penelox | 2005-09-11 20:51 | 90年代