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Ian Mastersのプロジェクト"Wing Disk"

(mixi日記より)

 新レーベルのコンピレーションCDの曲が各アーティストから送られて来ています。
だいたいこんな感じの曲で来るだろうという予想(そもそもそれをもとに依頼したりする訳ですが)が良い意味で覆されたりして、1枚のCDにどう並べて行くか、思案のしどころです。
 
 先日イアン・マスターズ(ex-Pale Saints)から送られて来た曲。
 それは4月にやったライブでも聴けた曲で、てっきりフレンドリー・サイエンス・オーケストラ(Friendly Science Orchestra)名義だとばかり思っていたのだが、届いた曲はウィング・ディスク(Wing Disk)としての作品となっていた。
 彼ひとりではなく、Mark Tranmerという人との二人組、という編成。 音は、サイケフォーク・エレクトロニカ、と形容するのがふさわしいかも。もしかして、こういう音楽には別に何か名称があるのか...?

 いや、名称はどうでも良いんです。
 彼が意識してるかしてないのとは別に、英国フォークの匂いと、どこか歪んだ感覚(子どもの邪気に近いかも)が、独特だなぁと思う。凛としたメロディー、ハイトーンのボーカルは変わっていない。

 使う楽器が変わっても、住む場所が変わっても、実は描こうとしている世界は変わらないのかも知れません。

 b0022069_10531074.gifWing DiskはフランスのIsonauta labelから10" EPを2004年にリリースしている模様(左)。


こちらががIan MastersのサイトにあるWIng Diskの紹介ページ。
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by penelox | 2006-06-26 23:59 | Vostokコンピ関連

Pure Pop Chart - June 19. 2006

 Pure Pop Chart、6/19付チャートはこちら。
*New Entry

01.News At Ten / The Vaporsb0022069_2383442.gif

 英国ギルフォード出身、デイヴ・フェントン(Vo/G)、エドワード・バゼルジェット(G)、スティーヴ・スミス(B)、ハワード・スミス(Dr)の4人からなるニューウェイブ期を彩ったヴェイパーズ。当時ジャムのブルース・フォクストンに気に入られ、彼の手引きでジャムのマネージャー、ジョン・ウェラーのマネージメントを得るに至りLibertyからデビューします。2ndシングルにあたる"Turning Japanese"の世界的ヒットによって、一躍ジャムの流れにとどまらないニューウェイブ/パワーポップ・シーンの新星として躍り出ます。

 その肝はやはり、知的かつシゃープなフェントンのソングライティングと、やはりジゃムに似た引き締まったサウンド。当時のXTC、コステロ、ブームタウンラッツ、スクイーズにも通ずるその音楽は、もちろん"Turning Japanese"でも証明済みですが、この3枚目となるシングルも良い感じです。

 1980年リリースのこの1stアルバム"New Clear Days"、翌81年の2nd"Mgnets"の2枚を残して解散、フェントンはソロシングルをリリースするも、のち音楽活動からは引退、音楽業界の権利関係の弁護士となっている模様です。

02.Get Up / R.E.M.
03.Circus Games / Skids
04.Palm Tree / Superstar
05.Too Late / Shoes
06.Black Velvet / The Lilac Time
07.(Stuck In A) Fantasy / The Distractions
08.Happy In My Mind / The Jetset

b0022069_2393499.gif09.The First Picture Of You / The Lotus Eaters*

 80年代前半英国におけるふたつの大きな流れ、ネオアコースティックとエレクトロポップをわざわざ区別するとわかりにくくなると思うのは、こういう音楽を聴く時。このふたつの音楽スタイルの良質な出会い ー10代の瑞々しい感性が、繊細で脆く、儚い音像を纏って表出する彼等の音楽を聴くだに、そう思います。

 この繊細なスタイルは、当然ながらその後の80年代後半の「マンチェスター」期から「グランジ」、「ブリットポップ」期においても、その陰に隠れながらも、流行に拘わりなく、ひっそりとリリースされ続けた幾多の良心的ポップアルバムの中にも潜み続けたある種普遍的な要素であり、その命脈は時代環境が変われど決して途絶える事はない、ある種ポップの伝統のひとつだと思うのです。

 そういった意味で、このリヴァプール出身の二人組の84年のデビューアルバム、邦題がまさに核心を突いていました。永遠の「青春のアルバム」。もちろん、たとえば40代になって作るアルバムではないでしょうし、また40代の聴き手に現在進行的なリアリティーをもって響くかと言えばそれは難しいでしょう。しかしこの、まだそれ程そこから離れていないからこそ10代の思いを「真空パック」出来た音楽は、もし聴き手が10代のある鬱屈感、失望感を少しでも覚えていたら、きっとそのインスタント・リプレイの好BGMになるでしょう。

 スリーブの色合いともども、よく出来た、商品としてのノスタルジーかも知れませんが、ノスタルジーも活かしようによっては十分生産的であり前向きになりますよね。巧みに作られた思春期音空間が、真に80年代的エヴァーグリーン(エヴァーペイルとでも言うべき?)な名盤。

b0022069_23102062.gif10.I Melt With You / Modern English*

 モダーン・イングリッシュは80年代初めに4ADからデビューした英国のバンド。1stはこのレーベル特有のゴシック的な作風らしいのですが(未聴)、2ndアルバムとなる本作では、何が起こったのか突如としてポップに弾けた世界を展開。シングルとなったこの曲がMTV効果もありアメリカでヒットすると、以後当時の第二次ブリティッシュ・インヴェイジョンの波に乗った活動を続けました。

 個人的にはこの次の"Ricochet Days"('84)もブリテッィシュNew Wave期の好盤として記憶していますが、一番知名度の高いアルバム、そして名刺代わりの一曲といえばこれでしょうか。

 リヴァプール系のギターポップ(バニーメン、ワイルドスワンズ、ライトニングシーズなど)に近い音造りの、風通しのよいギターサウンドと控えめで優しいボーカル...春の光が射し込み雪が溶けたその後...新たな始まりとでも言いたげなタイトルを持つ本作も80年代New Wave期のブリティッシュポップの名盤のひとつ。


 他の曲の詳しい解説はこちらからどうぞ。
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by penelox | 2006-06-19 00:00 | Pure Pop Chart

最近読んだ本・英国チョコバー編

6/15


 英国本と言っても、何を切り口に入って行くかなんて、それこそ無限にある訳で。

 「イギリスを歩いてみれば」(佐々木ひとみ・文/本郷けい子・絵 / ワニ文庫)

 これは観光旅行者の視点による、観光旅行者向けのエッセイ的スタイルの本、つまり非常によくあるタイプの(悪い意味ではないです)英国本。こういう本はことさらにひと味違った英国考察を見せてくれる訳ではないですが、だからこその楽しさ、というのもある。イラスト、写真とも、いかにも日本の女性が書きそうな楽しさ、気楽さと丁寧さがあって良い。旅行する時に持って行きたくなるタイプの本です。

 こういうエッセイタイプの観光本ってのは多い訳ですが、考えてみればここまで微に入り細に入った観光ガイドというのも、実に日本独特の文化なのだぁとも思う。基本的に徹底した消費主義なんだけれど、変にエキゾチシズムに訴えたり、中途半端な文化比較論に走ったりはせず、でも好奇心とマメで勉強熱心なところは必ずあって...いかにもそれが日本的だなぁとつくづく思う。

 この本、特に良いのが英国チョコレートバー事情の項、「チョコバー天国の秘密」。こういうのがもっと読みたいのだ!

 自分がチョコレートに目覚めたのは(笑)、間違い無く留学時であった。勉強中も、旅行中も、ずいぶんとお世話になった。Snickers、Kit Katはもちろんのこと、Twix、Double Decker、Mars、Toblerone、Milky Way...。

 決して日本のチョコレートに比べて格段に美味しい、なんて思わなかったけれど、でもあのもっちゃりしたデザインの包み紙、日本人なら考えないようなチョコと何かのバランスのおかしい(笑)取り合わせ、ニュースエージェントや駅の売店で色とりどりの(といっても少々変わった色もある。紫とか)チョコバーが並ぶ様はなかなか楽しかったのをよく覚えている。日本ではスニッカーズぐらいしかそのくどいパワーを見せつけているものがないのが実に残念。

 調べてみると、ネットにこういうサイトがあった。やっぱり日本人はマメだ。

 ちなみに、最近の私のオススメは、ニュージーランドの"Chit Chat"。Kit Katのバッタもんみたいですが、相当美味。

これです。
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by penelox | 2006-06-15 23:59 |

最近読んだ本・読んでいる本 - 英国本あれこれ

6/14


 いつの頃からか、英国のリアルタイムの音楽の多くが、自分にとってはあまり楽しめないものとなってしまった。それは、質的な問題なのか、はたまた私の興味の問題なのか...考えてみれば、ずっとどこかでそれを考えていた気がする。

 それを考えるためには、自分が好きだった英国ポップの良質な部分-人間としての誠実さが音楽に結実していた、と言ったら陳腐に響くのだろうか。しかそれが花開いていたと感じられるのは、やはり60年代から広い意味でのNew Waveが終焉する80年代半ばから後半ぐらいまで、というのが正直なところなのだが- が、どういった社会的背景のもとに成立していたのか...それを英国本をもとに探ってみるのも面白い。どちらも英国音楽についての記述は全くないのだけれど興味深かった英国本2册を。


 この10年足らずでの改革で、英国という国自体、自分がその音楽に心酔していた10代後半から20代初めの頃(80年代初め)とは、かなり変わって来た。概略としては、97年に保守党が18年の長きに渡った政権の座を降り、ブレア率いる労働党政権がその後の10年弱で新しい英国を構築して来たということ。それは、単にサッチャー以前の高福祉路線に逆戻りした、というものではなくて、戦後ヨーロッパで開花した社会民主主義的福祉国家路線(第一の道)、「サッチャリズム」による小さな政府、新自由主義的路線(第二の道)を土台とし、市場の効率と社会正義や平等の両立を目指す「第三の道」であったという。

 その事が詳しく書かれているのが「ブレア時代のイギリス」(山口二郎・著/岩波新書)。ただし、その後のイラク戦争参戦の理由に関し、ブレアが国民を欺いていた事(大量破壊兵器の有無)が露見すると、支持率は急落し、今では既にポスト・ブレアに興味が移っているという惨状だ。

 著者はそれでも、ブレアの政治改革の路線自体は高く評価しており、日本の政治と比較し、内実はもちろん違うところも多々あるのだけれど、従来の自民党政治を「第一の道」、小泉による新自由主義路線を「第二の道」と規定し、「第三の道」を模索せよ、と提言している。

 政治学者による書なので、エンターテイメント的面白さがある内容ではないのですが、だいたいの英国政治の流れをつかむのに良い本でした。


 考えてみれば自分が好きな英国音楽がリリースされていたのは主に「第二の道」の初期で、その時代の音楽には簡単に言えば、「第一の道」時代の文化的豊かさを享受していた、知っている人達によるサッチャリズムへの抵抗の側面があったと思う。60年代の音楽というのは「第一の道」の時代に開花したもので、こちらももちろん好きなんだけれど、同時代のものとして聴いていたものではなかったから、リアリティーという意味ではちょっと違う。留学していた頃は、「第二の道」の中期で、抵抗さえ薄れつつあった、という感じかな。当時の英国の閉塞感はとても印象に残っている。その後すぐいわゆるマンチェスターの動きが出て来るのだけれど、これは端的に言ってドラッグカルチャーだから、音楽そのものは好きなんだけれど、あまり建設的には受け止められないところもあって、複雑な心境だった。また、自分で音楽を作りたい、という思いも出て来たこともあり、その後英国音楽からは興味がだんだん離れて行った。

 ちなみにブリット・ポップは「第二の道」の末期で、リヴァイバル的な何かを求める気風が英国国内に横溢していたとも取れるし、よりメディアによる操作が巧妙になったとも言える。またこのへんは、どれくらいの年齢だったかも関わって来るのだろう。

 「第三の道」以降の音楽がもうひとつわからないのは、リアルに、手に取るように音楽の内面に共感出来るものがなかなかない-それに尽きるのだけれど、これはもうそんな歳じゃないから、とも言えるかな。

 そういう色んなことが、はからずも思い出された。

 「しのびよるネオ階級社会」などの書で、あまたある英国礼讃本とは違う視点を提示し続ける著者による、「これが英国労働党だ」(林信吾・著/新潮社選書)は、滞英経験豊富な作家/ジャーナリストの書であるがゆえか、保守党、労働党の現役の議員への直接取材による人間描写が、客観的事実の積み重ねによる論考的ニュアンスの前書の学者的冷静さよりも熱い「踏み込み」になっていて楽しめます。第一、両党議員のファッション比較なんて、なかなか他では読めないですからね。 一般に流通する英国像とはかなり違うので、もしかしたら日本人読者の大多数からの反発があるかも知れませんが、逆に、ここまで踏み込んだ英国本がなかなか日本にはないがゆえに、いまだに英国への偏見/幻想が大手を振っている状況が続く訳で、そういう意味で挑戦的、刺激的な好著。

 まぁ、思うにどこの国でもそうなのだろうけれど、「外国」のイメージというのは、
結果的に多数派に都合の良い幻想と偏見で構築されてしまうものなんだ、とは思う。それに自分にしても最初は英国に相当幻想がありましたからね。色んな角度からの意見を読んで、自分の考えが揺らいだり、新しい視点を見つけたりする-その瞬間がたまらなく好きだったりするから、英国本漁りはやめられない(笑)。

 結局この2册を読んで、英国音楽に関する自分の思いの変化の原因がわかったかといえば、まだまだだけれど...ただ、ヒントにはなった。

 英国音楽のある(好きだった)味が失わなわれたと感じる理由は、結局その時代にしか成立し得なかった、ある共有された意識が音楽の中に存在しないからなのだな...当たり前と言うか、地味だけれど、そう思う。

その共有された意識が、自分の思春期とタイミング良く出会い化学反応を起こしていたのだなと。だから、今の英国音楽の多くがクォリティーが下がったというよりも、作る人間の内面にある(無意識的といってもよい)精神的基盤、阿呆みたいにきこえるかも知れないけれど、たとえば権力や多数派の暴力には警戒しようとか、社会的弱者には優しい目を持ちましょうとか...そういう、お題目に聞こえるかも知れないけれど真っ当な、第二次大戦後の先進国の庶民にはまだ多少残っていたのであろうシンプルで素朴な人道主義的な善意や願いが、英国の若い音楽に感じ取れなくなって来たのだと、そういうことに思える。
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by penelox | 2006-06-14 23:59 |

The Music Lovers interview(part 4)

栗原淳インタビュー(2)


ソロ時代


 ーネロリーズ解散後、ソロアルバムをリリースされましたよね。それは日本語で、当時の70年代日本語ロックリバイバル的なムードにも合っていると思ったんですが、その後ガンガン行く...って感じでもなかったですよね。少し迷いが出てらっゃるのかなとか、勝手に邪推してましたが、本人的には如何でしたか?



 ソロを始める前後には、サニーデイ・サービスの影響がありました。彼らのアルバム「東京」がとても気に入っていて、遡るかたちで日本の60−70年代ロックをたくさん聴いていました。はっぴいえんど、はちみつぱい、ジャックスなどです。ソロ一作目は結局サニーデイにも無理言って一部参加してもらい、あとはAsa-Changと作りました。楽しいレコーディングでした。2作目は、冨田恵一さんのプロデュースですが、あれは本当に(悪い意味ではなく)オーバープロデュースというくらいに元曲をアレンジしていただきました。その頃はシュガーベイブみたいな「アーバンロック」もありなんじゃないか、ということになって、そういう方向へ持っていくべく冨田さんにお願いしたわけです。

 ソロの2枚は今でもとても気に入っています。ネロリーズのものと比べると、先ほどの質問にあったような、「明確な理想」がありました。もっと売れるとよかったですね。別にお金がほしいというのではなく、売り上げはメジャーレーベルにおける尺度になりますから、売れなかったらもう自分の好きなことはできません。もちろん音楽を続けることはできますが、いろいろと環境が変わってしまうので、前と同じようにはもうできなくなってしまうのが残念です。


ーSolo album discography


b0022069_2333182.gif月の王(1997)








b0022069_23331763.gifフェイク・ムーン(1998)




 




 ー思うに90年代半ばから2000年代初め以降沢山出て来た女性アーティストは、周りのディレクションがかなり大きかったと思うのですよ。才能がどうとかと言う以前に、スタッフが揃ってたもん勝ち、みたいな。だからそういう意味で当時外から見てて、栗原さんもったいないなぁって、思ったものです。
 でも、先程のお話(ディレクターやマネージャーのその後)をききますと、ネロリーズや栗原さんの持っていた要素が、ノウハウ(と言うとやらしい言い方ですが)としてこの頃の女性アーティストにずいぶん使われた気がしますね。つまり、栗原さんの持ってる新しさをさらに下世話に応用したのが宇多田ヒカルであり、浜崎あゆみであり、椎名林檎ではないかと...もちろん音楽性は違いますけれども。洋楽への立ち位置とか、女性アーティストとしての新しさとか。要するに(全体的にそうだったのかも知れませんが)「渋谷系」初期の人達の持っていた要素が、そういうスタッフによって持ち去られて、これらのアーテイストに(ある意味口当たりの良い音楽のスパイス、として)使われて行ったというのは、共通してるんでしょうね。個人的にはそれがちょっと悲しくもあります。
 もしもっとうまく立ち回ってたらあのへんに負けないぐらいの評価、セールス、あるいはポスト渋谷系的なシンガーソングライターの道もあったんじゃないか...とか思ったりします?  すみません、失礼な質問で。そうなって欲しかった、というのではないんです。ただ、時期的に全てが少しずつ早かったのかな、と思ってしまうんです。
 ですから、もう少しエラそうにして良いんじゃないか、というのがあるんですよ。こんな風に宣言して欲しい訳です、 私があなたたちの道を作ったのよ、って(笑)。




 それは私が自分で言っても仕方のないことだと思います。むしろ渡辺さんが記事にしてこそ意義のあることなのかもしれません。ただ、個人的に、浜崎あゆみなどを見ていて思い当たるフシもあるんです。たとえば私の元マネージャーにプラダとか、ルイヴィトンとか、ブランドイメージみたいなのを教えたのは私だったと思うし、浜崎さんがブレイクした要因の一つは、ブランドイメージだったと思うし。プラダの洋服とか着て雑誌にのってましたよね。彼(元マネージャー)が浜崎さんの担当になったのは本当に彼女がブレイクする寸前でしたので、何か符号するものを感じました。

 もともと、早すぎたバンドとかが好きだったので、自分もそうなってしまったと思うことにしています。誰かがのちのち評価してくれればいいと思うし、別に誰も評価してくれなくても構いません。自分自身の人生としては、今のほうが幸せだと思うし、利口になったと思うし、今の仕事も合っていると思うので、過去についてはほんとうに執着がありません。



そして、今



ーまた自分中心で活動しよう、というのはありますか? やっぱり今のご自身による表現というのも聴いてみたいなと思うのです。今、そういう計画、もしくはそれを考えたりすることはありますか?
 たとえば、ネロリーズを再結成するようなプランはないのですか?




 自分のプロジェクトについてはずっと考えています。アイデアを練っていて、メンバーの目星もついているのですが、曲をつくってどんどん前に進んでいく、という段階にはまだきていないみたいです。こういうのはもう、自然に啓示みたいなのがあるのを待たないと仕方ないと思っているので、今はまだその時ではないのかもしれないと思うことにしています。サンフランシスコに来てから、エクスペリメンタルなバンドをしている人達やサウンドアーティストみたいな人達と知り合って、そういうパフォーマンスにもよく足を運ぶので、今までとは違った感じで音楽に影響を受けていると思います。b0022069_23424561.jpgまた、現代音楽にも興味が出てきて、たとえばフィリップ・グラスやテリー・ライリー、スティーヴ・ライヒ、モートン・フェルドマンなどの作品を聴き込んだり、かと思えば60,70年代の名盤みたいなものも見直したりしています。キンクスの「アーサー」とか、イーノの「ヒア・カム・ザ・ウォーム・ジェット」、CANの「タゴ・マゴ」とか。ジョン・ケイルのソロ作なんかも常に聴いています。そのへんの影響も、新しいプロジェクトには出るかもしれません。

 ネロリーズ再結成については、全く考えたことがありません。第一、あれはもう私のやりたい音楽ではないので、演奏して楽しめるとは思えません。ネロリーズという過去があってよかったとは思いますが、もういちど繰り返そうとは思いません。



 ーもしファンの方がどうしてもネロリーズを聴きたい、観たい、ってなったら如何でしょう。一夜だけの再結成とか、そういうのも考えませんか。



 今のところは全く考えません。それはまた過去への執着というテーマに戻るわけですが、何しろ執着がないので、もう一回やりたいとも思いません。ただ繰り返しになりますが、ネロリーズをやっていて良かったと思います。



 ー最近よく聴く音楽は何ですか? 気に入ってるバンドなど、ありますか?



 前の質問で答えたとおり、最近はあまり新しいバンドを聴いていないような気がしま
す。あるときは新しいバンドばっかり聴いて、急にやめては昔のレコードを聴きこむ、という波をここ数年は繰り返している感じです。



  ー栗原さんから見て現在のアメリカのインディーシーンは如何ですか? 注目すべき動きなどはありますか?



 地方差があると思うので一概には言えないですが、サンフランシスコに限って言うと、数年前からエクスペリメンタル全盛という感じでしょうか。その一方、Devendra Banhartみたいな吟遊詩人系の人も人気がありますね。アコースティックな楽器を使ったエクスペリメンタル系もあります。まあ、いろんなシーンがあるのでまとめて言うのは困難ですね。



 ー日本人として、アメリカの現状(音楽に限らず)をどう見ていますか? やっぱり、避けて通れない話ですけれど、昨今のアメリカの世界への文化的、経済的、政治的影響度は凄まじいものがありますよね。それに対して、最近では危機感を募らせる向きも世界中で増えて来ています。日本でも、小泉政権になってから、よりアメリカ依存というか、盲従と言われても仕方ないような外交追従が強まって来ていますよね。
 で、その一方で、そこでの不満が、中国や韓国に対する反発方向にばかりズラされてる気がします。




 サンフランシスコは伝統的にリベラルな街です。ゲイ、レズビアンの人たちが多く暮らしているというのにも現れています。ここにいるとどうしてもリベラル=民主党的思想に影響されるし、アーティストはほとんどリベラル支持ですから、みんなブッシュが嫌いです。b0022069_2341579.gif
 2年前の大統領選挙のときには、やはりアメリカ全体ではいまだ保守なんだ、という事実を思い知らされました。サンフランシスコにいると誰も共和党なんて言いませんから、自分がいかに麻痺しているのかを知りました。

 だいたい、ブッシュの大きなミステイク、というか陰謀は、9.11を境に、世界をテロ支持か反テロかの2つに分けてしまったことだと思います。こういうdualismは大変危険ですし、敵対心を招くので、まさに戦争をあおるようなものですよね。
 それもこれも保守的反動=西洋中心主義からきているものです。

 私は政治的意見は持たないことにしていますが、人文科学的トレンドから見た場合でも、このdualismというのは古い考え方で、すでに70年代にエドワード・サイードをはじめとする人文学者たちが、西洋中心主義に異議をとなえています。
 つまるところ、アメリカというのは巨大な保守主義の国だといえます。東海岸の諸州およびカリフォルニアだけが例外で、一つの同じ国だと呼ぶのが難しいくらいだと思います。
 とりとめなくなってすみません。


 
 ー私はアメリカの音楽にはもちろん大きな影響は受けていますが、モノを作る立場としてこのあたりで、凄く考えてしまうんです。自己の内面にあるアメリカをどう対象化するか...みたいなところで。アメリカに暮してらっしゃる立場で、アメリカについて日々感じることって色々あると思いますが、もしよろしければ少し教えていただけませんか?



 住み始めたころによく思ったのは、自分が日本人(またはアジア人)であることを意識したことが今までなかったなあ、ということです。特にサンフランシスコには非常にいろんな人種の人々がいますから、自分がどういうoriginかというのを話す機会が増えます。今はもう慣れてしまいましたが、最初のほうは抵抗がありました。
 アメリカといってもサンフランシスコはかなり特異な街です。たまに違う街や田舎に行くと、驚くことがたくさんあります。
 サンフランシスコは住みやすい街なので、私はここが気に入っています。


 
 ー音楽とは関係ないのかも知れないですが、プードルがかなりお好きなようですね。どのような思い入れがあるのか教えて下さい。



 b0022069_23443516.jpg犬のなかでは一番好きです。なぜなのかはあまり深く考えたことはないですが、小さいときに初めて飼った仔犬がプードルだったからでしょうか。今も母の家でプードルを飼っています。


 ーネロリーズ、そして栗原さんのファンの方にメッセージをお願いします。



 いつになるかはわかりませんが、また自分の音楽をつくるときが来ると思うので、そのときにはまた聴いてくださるとうれしいです。



(栗原さん、そしてエドワーズさん、丁寧にご回答下さり、本当にありがとうございました。)

Special thanks to Matthew 'Ted' Edwards and Jun Kurihara.
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by penelox | 2006-06-11 23:59 | The Music Lovers

The Music Lovers interview(part 3)

 前回までのメインライター、マシュー・エドワーズ氏へのインタビューに続き、栗原淳さんへのインタビューをお届けします。彼女のこれまでの活動(ネロリーズ〜ソロ〜ミュージック・ラヴァーズ)も見渡した、大変貴重なお話がきけたのではないかなと思います。

 私watanabeがネロリーズを初めて知ったのは、90年の夏。奈良のぼうしレーベルからいただいたカセットテープに収録されていた"Cadillac For Montevideo"、まだポルスプエストからCDを出す以前の彼女達のその曲は、まさに今何かが動いている事を感じさせるもので、当時24歳の貿易会社社員(私)は、大いに刺激を受け、更にデモ作りに励んだものです。そのわずか1、2年後には同じレーべルに在籍することになるとは、思いもよらなかった. . .。

 そんな、個人的な思い入れもちょっと加わった、特別なインタビューとなりました。



b0022069_14342690.jpg栗原淳インタビュー(1)

ミュージック・ラヴァーズのメンバーとして


 ーThe Music Lovers加入のいきさつを改めて、教えていただけませんか?


 簡単に言うと、モノクローム・セットのビドが、テッドに私を紹介したというのがきっかけです。

 もう少し詳しく言うと、当時2004年でしたが、ビドがアメリカツアーをしたいと思っていて、アメリカの各都市で自分のバックバンドをしてくれる人たちを探していたのです。私がサンフランシスコに住んでいることを彼は知っていましたから、私にも打診があって、テッドにも別に打診があった。それで、テッドがそのとき、アコーディオンを弾ける人を探しているという話題を出したら、ビドが私をテッドに紹介した、というわけです。


 ー入ってみてどうでしたか? 立場としては、メインライターではありませんよね? もともと自分が中心で音楽創作をされてたのが、そういうポジションでバンドのメンバーになるというのは、如何でしたか?


 非常に学ぶところが多い、というのが本音です。b0022069_14322772.jpg
特にアレンジをしていく過程が非常に面白い。技術的なレベルが高いというのもありますが、お互いに化学反応を起こしてひとつの曲を作っていくという作業がこんなに面白いものなのか、と毎回思います。以前は私が曲を書いて、アレンジもだいたい頭の中にあって、というパターンが殆どでしたから、今やっているようなことははっきり言ってしたことがありませんでした。こういうのはやはり、人が作った曲だから自由な発想で取り組めるのではないかと思います。

b0022069_14372851.gif もう一つ、このバンドに参加したころ私は修士課程の最後の年で、論文を書かなければならなかったため、もう毎日毎日本や資料を家にこもって読み、図書館にも何時間も居座るというような生活でしたので、外に出て音楽をやるというのは精神衛生上よかったです。それも、自分のバンドではないから細かいことはしなくていい、ただ演奏すればいいという立場ですから、良いリクリエーションという感じでもありました。



ーもし差し支えなければ、ですが、大学では何を勉強されてたのですか? というか、そもそも、アメリカに渡られた理由からおききすべきでしょうか(もし不都合でなければ、教えて下さい)。


 サンフランシスコに初めて行ったのは99年で、Moonraceという私のソロプロジェクトのライヴをするのが目的でした。その時、いろんな人と知り合いになったのと、また、サンフランシスコっていい所だなあと思ったのがそもそものきっかけでしょうか。

 それとは別に、大学時代にネロリーズをやっていたせいもあって、あんまり真面目に勉強しなかったのに後悔している面もありまして、また学校に戻るのもいいなあ、と思っていました。結局、サンフランシスコ州立大学の大学院に入れましたので、そこで比較文学を専攻して、3年半ほどかかってMaster of Arts, いわゆる修士号を取得しました。よその大学に移って博士課程に進むというのも考えたのですが、もう自分の限界かも、と思ったし、日本に帰って、いろんなつてで大学で教えることもできるかもしれない、などという思いもあって結局博士課程はやめることにしました。でも結局こちらで結婚してしまったし、今は仕事も見つかり、サンフランシスコにある翻訳エージェンシーでプロジェクトマネージャーや編集者をやっています。この仕事はなかなか面白いですよ。もともと日本の大学でも仏文でしたし、アメリカでも比較文学というと、翻訳理論なんかも含んでいますので、勉強したことを結局仕事に生かすことができた感じです。

 しかし、今でも文学と音楽はやはり自分のコアになるもので、この二つの分野で将来また表現をしたいと思っています。



 ー今、バンドではどんな役割を果たしていますか。担当楽器はもちろんわかりますが、それ以外に何か果たしてる...みたいなのはありますか?



 平均年齢の引き下げと、ビジュアルでしょうか(笑)。


ー今回のアルバムでは個人的にテーマ、課題としていたこととか、何かありましたか?


 b0022069_14355125.jpgプロデュース的な面で、アイデアがあった場合はがんがん通しました。選曲に関してもバンド内で一時意見が割れたことがありましたが、反対しているメンバーを必死に説き伏せたりしました。自分の曲というのはどうしても客観的に見られないけれど、人の作った曲というのはとても公平に見ることができるので、個人の思い入れではなく、美的側面、芸術的側面を大事にしようと思いました。



 ー日本人が全くいないバンドにいる、というのは如何ですか? 大変な事などありますか


 大変だと思ったことは全くないです。特に音楽の話になると、私もイギリスやアメリカの音楽を聴いて育ちましたから、バンド内で「こういう感じ」などというニュアンスを伝える場合でも、みんなで分かり合うことができます。



ネロリーズ時代


 ーネロリーズ時代についてです。今、改めて振り返ったりすることはありますか?


 そうですね、まあ、ありますね。
 特にアメリカに来てからでも、ネロリーズを知っている人に出会ったりしますし、やっていて良かったと思います。The Music Loversでカレッジラジオに出演することがたまにあるのですが、そういう局に行くと、ネロリーズのレコードを持っていたりするので、たまにかけてもらってますよ。


 ー私は個人的にはポルスプエストに所属していたこともあって、デビュー当時の10代ぐらいのおふたりを見ているのですが、あの頃、自分の置かれた状況にどれぐらい意識的でした? 当時「ネオアコ」的、「渋谷系」的なムード、というのがあって、どこか業界デッチ上げ風の女性デュオ(注・ちょっと言い方に語弊があるかも知れませんね。栗原さん、そして関係者の皆様、申し訳ありません)に仕立て上げようとしてるような風潮があったように思うんですね。でも、そういうのにおふたり自身はホイホイ乗ってる感じはしなかった。あくまで自分のやりたい事を貫いてる感じがしたものです。ご本人たちはそういうの、どう感じてたのかなって思ったんですよ。また、周囲からのプレッシャー、みたいなのはありました?



 当時は、周りには騙されないぞ、と思っていましたが、今から考えるとやっぱり何にも世の中のことがわかっていませんでしたね。ポルスプエストというのは不思議なレーベルで、実態は東芝というメジャーですから、まあ言えばレーベル自体の目標はあっても、理想というものは殆どなかったと思います。純粋なインディペンデントではなく、誰も自腹を切ってレコードを作るわけではないですから、向こうもどこまでレーベルとしてやっていることを気に入っているのかよくわかっていなかったはずです。そのため、すべてが中途半端に終わってしまったのだと思います。

 ネロリーズというバンドに商品価値はあったんだろうけど、レーベルも変にアーティストの個性を大切にするという妙な政策をとっていたので、結局商品価値に対する見返りがあまり得られなかったというのが今の私の見方です。あと、宣伝とかもいまいちどうやっていいのかわからなかったんでしょうね。


(注・当時のポルスプエストのプロデューサー鶴田氏はのち宇多田ヒカルを売り出し有名になった。また、彼女の話によると、ソロ時代のディレクターがその後椎名林檎の担当になって成績を伸ばし、また同時代のマネージャーはその後Avexに移り、浜崎あゆみのディレクターとなり成功したとの事)



 ーそうですね。私も当時、レーベル自体がそもそも英国インディーからしてよくわかってないな...という感じが凄くしましたね。「今、サラレーベルの勉強してるんです」なんて言われて力が抜けたもんでした(苦笑)。まあ、仕方なかったのでしょうけれど。その後出て来たレーべルなんかの方が、もっと上手かった。ポルスがやった事を元に して、うまく立ち回ってましたよ。そういう意味では、ポルスはまだある種試金石的 な側面が強かった気がしますね。「こんなレーベル、どうしたら良いんですかねぇ〜」 みたいな事、若手社員に相談された事ありましたからね。私も一応アーティストやっ ちゅうの(笑)。


 そんな感じでしたね。レーベルももっと割り切って、商品価値を基準にして商売するべきだったと思います。


 ー当時鶴田さんと新幹線で東京までずっと一緒だった事があるんですけど、ヒップホップとかR&B系とかNY最先端(?)のレコードをやたら抱えてたんで、後になって思うとその頃から宇多田ヒカルのお父さんなんかと接触があったのかなぁと思ったものでした。


 そうですか。鶴田さんは流行に敏感でしたね。まさに業界人というか。これも80年代糸井重里的な表現ですが。それでも私は鶴田さんのことは今でも嫌いじゃありませんよ。ロンドンとかニューヨークとか、いろんな場所に一緒に行って、楽しいこともいっぱいありました。彼も所詮サラリーマンですから、最終的にはトップからの指示でレーベルをたたむことになったけど、今でもあのレーベルを任されてたら、いい線いってたんじゃないでしょうか。



 ー当時はどういう音楽を作ろう、という明確な理想はありました? 最初から英国音楽への知識と愛情が強くありましたよね。当時どういう音楽をよく聴いていたんですか? ギタリストのカズミさんはどうでした? 好みに関してはかなり共通してました?


 当時は、だいたいイギリスのインディーバンドです。パステルズとか、サラのバンドとかひととおり全部好きでした。マンチェスターのバンドも好きで、よくクラブに行っていました。こういう音楽を作ろうという明確な理想はなかったと思います。もっと自然に自分の中から出てくるような感じでした。それがオリジナリティに結局つながったのかもしれません。

 和美ちゃんについては、中学生くらいのときには私がミックステープ(懐かしい)なんかを作ってプレゼントしていたような気がします。後々彼女はフレンチポップとかラウンジミュージックが好きになっていましたね。



  ー中高生の頃って、同じような音楽が好きな人って、周りにたくさんいました? 当時のイメージでは、天才少女二人組、という印象でしたが、学校では目立つ存在だったのでしょうか。



 同じような音楽を聴いている人は全然いませんでした。そのせいで年上の友達が多かったです。大学に入ると、ちらほら同じような趣味の人がいて、先輩にもいろいろ面白い人がいたので楽しくなりました。大学時代に知り合った人たちとは今でも仲良くやっています。


ーNelories album discography

Mellow Yellow Fellow Nelories(1992)b0022069_1439630.gif








Daisy(1994)b0022069_14394361.gif








Starboogie(1995)b0022069_14402728.gif








(part 4に続く)
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by penelox | 2006-06-05 23:59 | The Music Lovers