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雷蔵、雷蔵を語る(市川雷蔵・著/朝日文庫)

 少し前に入手、何度も何度も読んだ実に味わい深いこの本は、戦後の大映映画の隆盛を勝新太郎とともに二枚看板として支え、昭和44年夏にガンのためわずか37才にしてこの世を去った名優・市川雷蔵氏が主に後援会の会誌でファンに向けて書き綴った文章をまとめたもの。俳優のエッセイというと、たいていは実に軽いものかファンにしかアピールしない内容で、内輪向けとなると、ますます閉じたもののように思ってしまいがちだが、そういうものをイメージしていると、間違い無く驚くであろう。ここ数年で彼の多くの作品に追いついた、非常に遅れたファンである私ごときがここで声高に訴える資格などないかも知れないが、雷蔵丈の語り口は、誠実で率直、何より幅広い視野と勉強熱心さを支える謙虚で努力家な人柄が伝わって来る、非常に説得力のあるもので、単に俳優という枠を越えた人間的魅力をたたえたものとなっていて大変に印象的だったゆえ、ぜひぜひ読んでいただきたいなとお薦めする次第。仮に全く彼に興味のない方でも、戦前〜戦後から昭和40年代にかけて生きたある日本人の姿として、強く心に訴えかけて来るのではないだろうか。


 「・・・ご承知の通り映画は芸術であり娯楽であると同時に一つの企業として成り立っているものです。その企業の商品であるところの映画が興行的に成功する、しないは、以後の企画に対して重大な影響力を持っていることは今さらいうまでもないでしょう。今度の「炎上」がちょうど私の場合のそれなのです。ですから今ここで私が後援会の皆さんにお願いしたいことは皆さんの一人一人がこの映画を見てくださることはもちろん、二人でも三人でもお友達を誘ってこの映画を一人でも多くの人に見ていただくようご協力してくださることなのです。」

 「・・・もちろん私は「炎上」において誰にも絶対の自信をもって見ていただけるというような口はばったいことは申しません。ほめていただいても、けなしてもらっても結構ですから、とにかく一応は見てくださいとお願いするだけなのです。ただはっきりいえることは、自分として拙いながらこれまで身につけてきた力を継いだ最大限に出してこれに当たっていくという信念だけです。」
(昭和33年7月「「炎上」出演から・・・・・」)


 「・・・私もいつかは結婚して、子供を持つ親となることでしょう。その子をどう育てるかということは、なかなか難しいことですが、私は先日、大阪に出かけ、梅田から車に乗った時、ふと考えたことがあります。
 もし将来、自分の子供が生まれたら、駅からすぐ車に乗って、楽をして、自分の好きなところに行けるような人間としてではなく、満員電車の運転手席のわきで、しっかりと境の棒につかまって四囲の景色を眺めながら、元気に歌を唄っていくような子供に育てようと・・・・。
 ごく当たり前の苦労を知らないで、子供が育つというのは悲劇です。
 麦は踏まれれば踏まれるほど強くなるということは、私にとっても、私の子供にとっても、本当のことのはずだと私は思いました。」

 「・・・純粋に生きるということは、人間の一生を通じて忘れてはならないことですが、そう考えるあまり、時に死を選ぶ人があるのはどういうものでしょうか。
 どんな理由があるにせよ、自分のいいたいだけのことをいって死んでしまうとは卑怯です。人生の敗北以外の何ものでもありません。もっと自分の値打に目ざめなければいけないと思います。
 私も小さい時から何度も、人生の苦しい場面に立たされたことがあります。しかしそのたびに私は反発し、立ち上がり、生きてきました。立ち向かう相手が、強ければ強いほど、私の勇気は奮い立ちました。・・・」

 「人間の考えには、時間が必要です。一時に思いつめると、何もかも見えなくなるものです。自分を悲劇のヒーローのように考えないことが、大切だと思います。」
((昭和34年3月「私の愛と生活の条件」)


 「・・・もっとも若い人ばかりが責められるべきでなく人間としての良識については日本の国造りというもっとも重い責任を担うはずの政治もまったく行き当たりばったりで、いったい政治家たちは何を考えているのか私には見当もつきません。・・・毎年のように代議士団がわれわれの税金を使って渡米していますが、彼等はいったい何を見てこられるのか、これもまた不思議でなりません。」
(昭和37年5月「インターナショナル」- 日米比較から政治家への不信感に向かう。ちなみにこの年の3月に雷蔵は結婚しているのだが、披露宴には大映永田雅一社長とのつき合いもあるのだろうが政界から大野伴睦、岸信介、藤山愛一郎、河野一郎、川島正次郎、田中角栄といった錚々たる顔ぶれが出席している。さまざまな業界の利益が絡みある種衆人監視の「スター」であった事実を考えたとき、ひときわ痛烈に届く)


 「・・・常識とは人にも自分にも正しくあろうという心構えが必要で、人が間違っているから自分もやっていいという考え方や、人が見ていないからやってもかまわないという考え方は断じて排すべきだと思います。自分自身を大切に考え大切に行なうことが何よりも必要なのではないでしょうか。とかく悪いことはくだらないことが多く、くだらぬことは誰でも真似やすいものです。その反面、正しいことはなかなか行ないにくいものだといえますが、世の中をよくするため、日本をよりよい国にするためには、やはりこの正しいことを流行させるよう一人一人が心がけねばなりません。一人一人の体内にひそむ悪魔を断固として駆逐すべきだと思います。それにつけて考えられるのは映画の指導性ということです。「忍びの者」「天国と地獄」などの撮影を見るにつけても、映画制作者たちは映画娯楽を通じての強力な指導性をもっと認識してほしいと思います。いたずらに興味本位に流れたり刺激することばかりを考えるのは大変危険があると知っていただきたいのです。人間性のいい面を引き出すような映画の内容や傾向によって、日本の人たちを再教育するということもあながち不可能ではないと思います。

 単に映画が当たるとか当たらぬとかだけにポイントをおかないで、日本をよくする映画作りというのが、われわれ映画人に課せられた大きな使命ではないでしょうか。」
(昭和38年9月「ある流行」-みずから主演した忍者映画が原因と思われる犯罪の流行を嘆いて。映画産業の浮薄さへの注文も)


 「・・・私はこの一年間少し大袈裟にいえば俳優としての自分を犠牲にしても会社再建のために馬車馬のように、ひたすらつっ走ってきたつもりです。俳優としての私だったら、やりたくない作品も少なくありませんでした。しかし、会社を健全な姿に戻すために会社の企画するもの、私の出演を依頼されたものには、一応建設的な意見交換はしても結局すべてに出演して来て、決して破壊的な行動には出ませんでした。そうすることが会社のためになるだろうと、私として会社に尽くせる、ただ一つのことだと思ったからです。

 しかし、会社あるいは経営者には私の純粋で一途な気持ちでやったことがわかってもらえなかったようです。あるいはわかろうとしないのかもしれません。ですから来年度は、もう少し自分自身にも会社にもきびしくならなければ、いけないと考えています。もう十年になるのですから。しかしこれは自分のためだけのわがままを押し通そうというのでは決してありません。」
(昭和38年12月「シリーズ」-会社批判ともとれる発言)


 長々と引用したけれど、こんな内容の話を、わずか30前後で、上から押し付けるでもなく冗談めかすのでもなく、諭すように(そして時にズバッと)、柔らかな説得力でもって真摯に書き綴ることのできる俳優が、いや、日本人全体を見渡しても、どれだけいるだろうか。どこもかしこも下劣な妬みやひがみ、悪意や妄執に満ちた、心根の卑しさばかりが目立つ昨今を考えれば、人間としての品性というものの大事さを大いに感じさせられるのである。

 映画評論家だったか監督だったか失念したが、ある方が、役者・市川雷蔵の佇まいをして「爽やかな悲しみ」と形容していたことを記憶しているけれど、それはまさにいまはもう失われてしまった戦後日本人のある時期までの姿の一面そのものなのかも知れない。そんな生きざまを、大映映画の多くの作品に残された彼の演技だけでなく、演者みずからの文章によって深く分け入り、共有できたのは、何とも素晴らしい体験だった。映画俳優という作品のピースにとどまらない、幅広い視点と行動力をあわせもったこの大変な人物による本の味わいもまた、爽やかで悲しい。
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by penelox | 2008-04-26 09:43 |

「芸能と差別」の深層 (三國連太郎・沖浦和光・著/ちくま文庫)

 ドキッとするタイトルだとは思うけれど、内容は大変刺激的。言うまでもないとは思うけれどこの三國連太郎氏とは、今では映画「釣りバカ日誌」の社長、スーさんでお馴染みのあの方。御本人の俳優生活の原点を起点に、役者と芸能、色悪、俳優の社会的地位、さらには芸能史の深層から日本文化の源流、かぐや姫伝説、永井荷風、アジア民衆文化・・・と、実に際限なく対話が広がって行く。そういえば、彼はあの1962年の映画「破戒」で市川雷蔵と共演していた筈。雷蔵氏が彼を俳優として高く評価しているという記述も何処かで見た記憶もある。被差別部落の血をひく三國氏と、その出生に複雑な背景を抱える雷蔵氏、きっと何か心の深いところで通じ合うものがあったに違い無い。録画したままになっているあの作品、早くみたいものだ。
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by penelox | 2008-04-24 13:54 |

お笑い創価学会 信じる者は救われない (佐高信、テリー伊藤・著/ 知恵の森文庫)

 この書が某古本チェーン店でこんなにあっさり入手できるとは思わなかった。創価学会関係の人々によって人目に触れられないようにされている、なぁんて噂が実しやかに流れてたから。しかし実際のところこの本、2000年には20万部を越すベストセラーとなっているから、よく知られている作品ではあると思う。個人的には仕事上で学会のご家庭に勉強を教えに行ったことは何度もあるし、少々驚くこと、親の押し付ける信仰に苦悩する生徒さんの話をきいてあげたりとか、そういったことも何度か経験しているので、書いてある内容には頷ける事、そうだろうなと思える話が多かった。現在の状況 - たとえば、地上波のTV番組を見ていて学会絡みと目されるタレントを見ない日はないし、支持母体として支えている公明党は今や自民党と連立した与党である - を考えれば、もはや宗教にとどまらないその政治的、社会的影響力をほおっておけない・・・ということで、メディアでもそれぞれ評論家、TVプロデューサー/タレントとしてよく知られるふたりの対談を中心に、既に学会に所属している人達よりも、むしろフレンド票(いわゆる学会以外の人達による票。選挙の時期になると必ず電話攻勢をかけて来るあれです。気の弱い人だとそれで投票してしまうという)剥がしが目的で書かれた本だという。参考文献として掲載されている井田真木子、小田実といった人々のかつての文章は実に参考になったし、評論家藤原弘達氏の著書を巡っての騒動の経緯も、大変参考になる。
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by penelox | 2008-04-24 13:53 |

Once We Were Trees - Beachwood Sparks (2001)

 ロサンゼルスを拠点とするオルタナティヴ・カントリー・ロックバンドである彼等の、目下のところ最後のアルバムとなっている2nd。これまでThe Tyde、Further、Strictly Ballroomといったバンドで活動して来た人達が結成したということで、ジャケットでのメンバーは若々しいものの、演奏歴は結構長いようだ。彼等の音楽性をもう少し突っ込んで形容すると、「コズミック・カントリー」ということになる。つまりは、サイケデリックなカントリーロック。要するに、バーズの「ロデオの恋人」("Sweetheart Of the Rodeo")、それにフライング・ブリトー・ブラザーズの影響が非常に強い音楽。実際、メンバーのルックスから、ジャケット、曲の内容に至るまで、実にそれ風で、69年〜70年あたりにいた幻のバンドのお蔵入り作品、と言われても信じてしまいそうな程。現代的な味付けなりテーマ性を探しても、簡単には見つからない。脱商業主義やエコロジー的な意識に貫かれている様に読める歌詞も、当時の音楽のヒッピーイズムと見紛うぐらい、そのまんま。しかし、30年という時間の経過があるのだ。それを考えると、その意図なり、姿勢というものがあまりに唐突。姿勢はあまりに素朴なアマチュアリズムでありながら、趣味的というにはあまりに高いクオリティー。そのギャップの極端さには、正直言って微笑ましくも当惑する。ゆえに、彼等をああだこうだと断ずるよりも、私の鑑賞プロセスを書いた方が彼等の姿の一端が伝わりやすいかと思う。


(1)ある日の印象

 聴く前に彼等に対して持っていたイメージは、この情報過多の時代にわざわざコズミック・カントリーロックをやる、という意味では、アメリカのバンドなのにスタイルに対してイギリス人のような距離感、そしてそれゆえの憧れと批評性が内在しているのではないだろうか、ということ。で、実際に聴いてみるとその距離感は感じられない。あっけないぐらい、実に屈託が無い。その時代なりに作り変えよう、というのも感じられない。まさにそのまんま。考えてみれば、アメリカだとこういう音楽はこちらが思う以上に身近にあるだろう。よって、心理的な距離もない。たとえば幼少時から聴いていたら皮膚感覚として身に付けているだろう。憧れというよりも、むしろ帰るべき心の故郷とみなしてさえいるかも知れない。だからか、批評性もない。ゆえに、楽しんで浸っているうちに、ミイラになったミイラ取りよろしく、自分達もグチャグチャになって飲まれてしまったのだろうか。否定的に捉えることもないとは思うのだが、あまりに屈託なく、あまりにそのまんまなのに当惑している。この時代を生きる人間としての部分がまるっきり見えて来ない。その趣味性の異様な高さ、なり切り方の異様さこそが現代的というべきなのか・・・わからん(苦笑)。


(2)またある日の印象

 何度か聴いてみた。いやいやそこまでひどくない。最初のイメージが間違っている。もちろん趣味性が異様に高いのは事実だが、彼等なりの自然なアマチュアリズム(=好きだからやっている)の発露であるようなのだ。ただ、それが、(おそらく表現技術が高いゆえ)あまりに完成度が高過ぎるせいで、誤解を招くのだ。パロディーでも気楽なホビーバンドというのでなく、ひたすらモロになり切ってしまっていて隙がない。アメリカのおたくが、真剣過ぎ、上手過ぎてもはやおたくではない本格派になってしまう、という感じとでも言おうか。力技でチマチマした批評性さえぶっちぎってしまうのだ。それの何処が悪いのかと言われたら、私も答えることは出来ない。今の時代、もはやプロとアマチュアのあいだに明確な線引きなど出来ないし。ただ、あまりにそれ風なので警戒してしまったとは思う。後期バーズ、フライング・ブリトー・ブラザーズが好きな人達、ということなのだから、本当に好きでやってるのだろう。しかし、あまりに唐突で、そこへ至る経緯がまるで見えないから、批評性に一定の価値基準を置いていた80年代育ちとしては、こんなに屈託なくて良いのかと驚いてしまうのである。だから、現代を生きる人々の多くと「音楽」というメディアで共振しあえるか、という意味で考えると、たとえば60年代末当時のバーズの変転の衝撃、影響度とは、くらべようがないだろう。ビーチウッド・スパークスの場合は、まさに今ある「コズミック・カントリー」というジャンルに殉じた音楽以外の何物でもないからだ。しかし、そのカテゴリーのなかでの強度はまた、かなりのものがあるのも事実。聴き返すうちに、ひっかかってくる良い曲がいくつかあった。04 "You Take the Gold"、05 "Hearts Mend"は大変印象的。しかしなんと言っても目玉は10 "By Your Side"、何とシャーデーのカヴァーである。これは80年代の音楽も聴いてたよ、とでも言いたかったのか。いや、ただ単に好きだったから、そんな言葉しか帰って来ない気もする。それぐらい、恣意性と無意識的部分の境界線の判別が難しい人達である。また、よく考えてみれば、彼等のような人達は決して特別でもない気がして来た。90年代以降のアメリカでは、新しいカントリーロック世代(最初に書いたいわゆるオルタナティヴ・カントリー・ロック)というのが実際のところ一定数いる訳で、そのシーンがこちら伝わって来ないから、唐突に感じるだけなのかも知れない。

 単に、コズミック・カントリーが好きで、やった。やったら、たまたまそっくりになった、それだけのことなのかも知れない。手癖と持ってる天然の感覚は物凄い、ただの音楽好きなのかも知れない。ただその奥に何があるかというと、自分達でもよくわかってない。そして、おそらくわかってないからこそその衝動を糧に奏で続ける・・・たぶんそういうことなのだろう。寛容で開放的なアメリカは良いが、閉鎖的で独善的なアメリカは苦手、という私にとって、この微妙なジャンルはその奥にあるものでずいぶん印象が違う。その点では、次の作品(正式に解散表明した訳ではないらしいが、事実上活動停止状態にあるようだ)が聴けないのは残念なところ。近々活動を再開するという話もあるようだし、もし作品を作るのならアメリカ社会の諸様相をもっと現代的に切り取ってみて欲しい、そう思ったりもする。
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by penelox | 2008-04-24 13:24 | CD備忘録

The Subversive Sounds Of Love - Frisbie (2000)

 シカゴのポップバンド5人組フリスビー(メンバーのひとりの名前から取っている)の3枚リリースされている作品のうち、デビューアルバムにあたる作品。同時代のパワーポップバンドに一応括られているようだが、その音楽の核心にあるのはフォークロックやハードポップ/ロック、あるいは捻り系とも、バブルガムぽさともソフトロック的なスタイリッシュ性とも違う、もっと中庸な陽だまり感とでも言おうか、70年代前半が根っこにある、耳に馴染み易いオーソドックスなAOR的ポップロックという印象。

 特に冒頭3曲はストレートなメロディーを奏でるリードVoに美しいコーラスとオルガン、ギターをあくまで寄り添うように配しており、決して轟音が炸裂したり、楽曲が意地悪くひねくれるようなことがなくゆったりと進んで行くので、日常の生活のリズムにほどよく合わせてくれる。クラシックスIVやニュー・コロニー・シックスにも通ずるような、ソウルポップ的な温かい味付けを現代風にアレンジした感じで大変に聴きやすい。前後するが05、07なんかもそうだろう(アレンジを変えたらバックストリートボーイズが歌ってもおかしくない。皮肉で言うのではなく、それぐらい幅広い層に聴かれておかしくないキャッチーさだということ)。かと思っていると冒頭の激しいギターサウンドが驚かせる04。ギターの鳴りという意味で共通するものとしては06、09、12のようなトラックもある。ドアーズのような60's後半風オルガンに、シカゴという都市の伝統を感じさせる、管楽器入りの08などはそういうギター主体とはまた別のバンドのようにさえ聞こえるし、10のオルタナぽいギターサウンドと70年代ぽさが混ざった不思議なインストも聴くと、表現欲求が旺盛なうえに、それを形にしてしまえる器用さがあるのだなと思う。シンガーソングライターが3人もいるという意味では、カナダのスローンやスコットランドのティーネイジファンクラブと比べてみるのもいいかも知れない。

 一枚の作品として聴いた場合、アルバムの構成という点が唯一に気になるけれど、原因はやはりそのソングライターが複数いるせいと、最初の作品ゆえの「ぶちこみ過ぎ」というやつだろう。意欲が勝ち過ぎなのはバンジョーが印象的で途中からジャズになったりする13のような落ち着かない曲を最後に入れることでもわかる。名刺代わりの一曲、というほど傑出したキラーチューンは見つからないけれど、個人的には02、03、05、07の甘味が好きだ。決して派手ではないけれど、好感の持てる1stアルバム。
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by penelox | 2008-04-16 11:18 | CD備忘録

Tantilla - House Of Freaks (1989)


 ハウス・オブ・フリークス。この名前をきいて反応するのは、よっぽどアメリカのインディー音楽に興味のある人なのかも知れない。私にしても、名前こそもう長いこと記憶の片隅に残ってはいたけれど、たぶんカレッジ系でも、特にペイズリーアンダーグラウンドの流れを汲む世代ではないのかな・・・そう思っていた程度で、REMの登場以降大きく増えたアメリカ全土のアンダーグラウンドで活動する多くのアーティストの80年代における数え切れないほどのリリースと同様、とてもその作品を聴くところまで行かなかった。当時は聴きたくてもとても追い付かなった、こんな作品を、いまこそしっかりと聴こうと思っている次第。

 ニューオリンズファンクぽい打楽器のアレンジメントに導かれる中毒性のあるポップチューン"When the Hammer Came Down"を一曲目に配し、英国人ジョン・レッキーによってプロデュースされたこのアルバム(おそらくストーン・ローゼズのあのデビューアルバムと同時期にかかわっているはずである)は、彼等の2枚目にあたるらしく、興味深いことに多くの歴史的発掘で知られるRhinoから出ている。再発専門というイメージのこの西海岸のレーベルから出ただけに、マニアックに知的に、アメリカ音楽の深部を探っている・・・そう予想していたのは間違いではないようだ。所謂ルーツ音楽-フォーク、ブルース、カントリーといった音楽が大きくその底にあるのだが、そこに研究家よろしくただどっぷりと浸かって悦に入っているのではなく、それらを使って再構成し、自分達ならではのポップミュージックにまで高めているところが良い。ベースレスで、ブライアン・ハーヴェイ(Vo/G)とジョニー・ホット(Dr)のふたりだけというまことに変わった編成で、アコースティックなタッチのギターサウンドとよく考えられたリズム解釈、そして大変ポップで上手い曲作りをするハーヴェイ氏による若々しくシャウトするVoがが特徴的。そして、何と言っても、どこかニヒルな佇まいを見せる全体の音像。全体に纏われたブルーズ感覚のせいだと思うが、人の良いアメリカーナ・ミュージックにならず、どこかにバンド名通りの悪魔性というか、南部の音楽の深部に潜むダークな感覚を救い上げようとしている気配がそこかしこに滲んでいる。個人的にアメリカン・サザン・ポップに無意識に惹かれるのはその影の部分ゆえなのかも知れない。たとえば、02 "The Righteous Will Fall"はキリスト教右派としてしばしば問題視される南部バプテスト派の支配について(その支配側の思考プロセス、権力を失う恐怖をシュミレートしたような内容だろうか)、08 "Kill the Mockingbird"はハーパー・リーの小説「アラバマ物語」("To Kill A Mockinbird")へのオマージュなのだそうだ。初期のREMにも感じられたけれど、一聴のどかだがじっくり聴けばどこかに、何百年ものあいだに白人、黒人、ネイティヴアメリカンといった様々な立場の人達を巡る、人種差別、貧困、宗教を巡る対立、そして暴力が生み出した血や汗や悲しみ、怨念、無数の人々の思いが微熱をもって混じりあい、もはや言葉にさえならないような無力感と失望感にとしてその土地に染み付き、その果てと思しき倦怠感が、暑く湿気を孕んだ空気となって立ち上り、まるでマイクロフォンで拾い上げられるかのように音に刻み込まれている・・・ヴァージニア州リッチモンド出身の彼等はそんな南部の空気感を纏いつつも、あくまで客観的な語り手としての立場を崩さず物語を紡いで行く。そんな、60年代後半にアメリカ全土を揺らした左翼的学生運動とある意味地続きの誠実な姿勢がまさに80年代の、まだ極端に商業化する寸前のカレッジ音楽らしくて良い。個人的に、彼等が描く世界がその基底において、私が仕事柄体験することも多々ある日本におけるそういった立場の人々-つまり被差別部落や在日の人々、宗教に翻弄される人々-とオーバーラップすることがあるから、またそういった方面についての本に最近触れることが多いから余計そう思うのかも知れないが、もっとも重要なのは、作られている音楽が決して古びていないスタイル、むしろ当時としては早過ぎたぐらい現代的なところ。今ではホワイト・ストライブスに代表されるような、ある種お洒落な売れ線として消費され尽くしてしまった感もある、変則デュオによるオルタナティヴなルーツ音楽探訪 - 20年前のそんなスタイルのプロトタイプとして、彼等を若い世代に知っていただくのもまた良いかと思う。

 最後に大変残念なことをひとつ。中心メンバーのブライアン・ハーヴェイ氏、2006年1月に地元リッチモンドで起こった連続殺人事件に巻き込まれ、家族全員とともに遺体となって発見されたという。関わっていた犯人達が黒人であることが、この作品で感じられる姿勢、深みを考えると、何より残念な思いに立たされる。合掌。
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by penelox | 2008-04-13 23:03 | CD備忘録

Be Yourself Tonight - Eurythmics (1985)


 80年代を代表するアーティストのひとつであるユーリズミックスの4thアルバム。ソウル/R&Bへの愛情を本格的に明らかにした最初の作品のようだ。ようだ、と曖昧な表現をするのは、私にとって当時の彼等は作品が出たら常に買う、というアーティストではなくて、MTVでチェックする程度だったから。シングルはたいてい注目していたし、そのどれもが印象的だったけれど、10代終わりにありがちな自己アイデンティティー形成、特に私の場合、その後の音楽活動に繋がる、見本としての音楽が優先されていて、男女二人組というフォーマットの彼等はその意味では遠かったのだと思う。"Sweet Dreams"や"Here Comes the Rain Again"など初期におけるクールなエレクトロニクスサウンドはもちろん好きだったが、当初からアニー・レノックスの歌はソウルフル(当時の自分の表現レベルで言うと「歌めっちゃ上手い人」!)で、陰鬱な音像が似合いそうに思っていた彼女の声が明るいカリプソサウンドと溶け合うと不思議な魅力があった"Right By Your Side"などは、特に好みだったことを思い出す。彼等がR&B/ソウルの下敷きを持っているというのは、たぶんこうやって小出しにはしていたのだろうが、アメリカでの成功からかの地での人的交流が増えるにつれ、自然とその資質に本格的に向き合うようになって行ったのだろう。あくまで後付けにはなるけれど、きっとこの路線もあったからこそ現在の彼等の世界的名声があるのだろうし。その辺りをちゃんと聴いて確かめておきたいと思った次第。

 当時は大ヒットした02 "There Must Be An Angel"(スティーヴィー・ワンダーのハーモニカが聴けるのは話題になったものだ)がよく流れていたし、自分自身はこれとアレサ・フランクリンが共演した04 "Sisters Are Doin' It For Themselves"(今聴くとアニーの歌い方は結構アレサの影響を受けている気がする)しか知らなかった。で、それらだけでずいぶんアメリカっぽくなったなぁ、という印象を漠然と持っていた記憶があるのだけれど、19ハタチの頃にアルバムに触れず、二十年も経って今はじめて聴けるというのは、もしかしたらこれはこれで良かったのかも知れない。(若い頃は特にそうだが、メディアに評価を預けてしまっているがゆえの)凝り固まった偏見に惑わされることなく、新譜のように大変新鮮に、かつソウルへの愛情の深みも感じる作品として聴けたのだ。今考えてみれば物凄いゲスト参加があった豪華なアルバムであり、それまでの世間的なイメージを考えれば大きな路線転換に打って出た大変な意欲作だったのだなと思う。アニー・レノックスの声が実に味わい深いのと、ギターサウンドと時折あらわれるエグいシンセサウンドの絡みが心地良い。もちろん80年代半ばなりのソウル路線だから、楽器の音やアレンジには時代を感じるのは事実。今ならもっとエレクトロニクスを減らし、ヴィンテージな楽器を使ったいかにもソウルっぽいサウンドになったかも知れない。けれど、そうじゃないからこそ(ダサ格好良いシンセが絡んで来るからこそ)当時らしくて愛おしい音、というのが、80年代育ちの偽らざる感想。01 "Would I Lie To You?"はそういう折衷感覚がまだ、ストレートな古き良きソウル感覚の添え物風なところがあるけれど、このアルバム以後の新しい彼等の代表曲となった02を挟んで03以降になると徐々に当時のブラックミュージックの彼等流解釈としてのエレクトロ・ソウル/ファンクいう趣に傾斜して行く。06 "Adrian"でエルヴィス・コステロとデュエットしているというのも、恥ずかしながら当時は知らなかったし、知っていたら違和感を覚えたかも知れないけれど、今考えるとソウル/R&B好きな両者だから別に不思議ではない。あと、トム・ペティー&ハートブレイカーズのメンバーが演奏に参加しているのも、のちのトム・ペティーの作品でのデイヴ・A・スチュアートの貢献を考えると興味深い・・・とまあ、当時のことを色々思い出せて楽しめたけれど、若い世代の方にはどう聞こえるのか、それも興味深いところ。
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by penelox | 2008-04-10 11:57 | CD備忘録

The Icicle Works - The Icicle Works (remastered expanded edition/2007)

Disk One

01. Chop the Tree
02. Love Is a Wonderful Colour
03. Reaping the Rich Harvest
04. As the Dragonfly Flies
05. Lovers' Day
06. In the Cauldron of Love
07. Out of Season
08. Factory in the Desert
09. Birds Fly (Whisper to a Scream)
10. Nirvana


 リマスタード盤になって何が変わるかというと、やはりひとつひとつの楽器の音の輪郭がスッキリして、狙いや仕掛けが分かりやすくなるということだと思う。そのぶん、80年代の録音技術の限界も現在の耳でわかってしまうだろうし、全体としてのダイナミズムとしてはどうだろうか、単に録音レベルの差で揚げ足を取るような程度の低い批評に巻き込まれたら可哀想だなというのもあるけれど、そもそも音楽に対する印象と言うもの自体が、いわば一定のおおまかな形はあれど厳密には刻々と千変万化して行く川面のようなものなのだから、あまりあれこれ比較し過ぎても詮無いことだと思う。できるだけ、まずはこれはこれで興味深い、新たに出た作品として聴いてみようと思う。

 シングルB面やBBCセッション、ライブトラックなどを加えた2枚組としてあらたな装いを施されたこのリヴァプールのトリオ、アイシクル・ワークスの1984年のデビューアルバム。オリジナルLPは20年以上も前から、もう何度も聴いているこの作品(当初は"Reaping the Rich Harvest"が"Waterline"に差し換えられた米国盤。のち英国盤も入手したが、アメリカ盤の方が流れが良い気がする)。86年春の来日公演も行った。だから、どうしてもノスタルジーから逃れるのは難しい。それに、「ネオ・サイケデリック」の名盤としての一定の評価が一般的にはなされていて、逆に言うとそれ以上に広がらないのが大変残念な作品でもある。それは結局のところ、そのあと彼等が当時比較されたU2やREMのように世界的バンドになれなかったことに起因すると思う。日本ではあまりそういう比較はされず、初期はどちらかというと同郷リヴァプールのエコー・アンド・ザ・バニーメンやカメレオンズといった、所謂そのカテゴリーの代表的バンドと目される人達と音の傾向からくらべられることが多かったと思うが、いまリリース全体を俯瞰して、このCDのブックレットでの元マネージャーのトニー・バーウッドによる述懐や、当時の英国での彼等の位置付けを振り返ってみても、そういった見方-U2、REMになれなかった80年代のバンド-の方がわかりやすい。それは、もちろんこのアルバム後に、そのサウンドを変転させたことが商業的大躍進に結びつかなかったせいもあったろうし、レーベル、マネージメント、そういったものも含めた(特にアメリカ進出に関しての)運・・・これらが彼等をそう運命付けてしまったのだと思うけれど、今言ってどうこうなるものではない。それよりも大事なことは、ここで聴ける可能性、瑞々しいエネルギー、センス、演奏力、それに大変ポップなメロディーを書くイアン・マクナブのソングライターとしての才能、これらがこの作品に見事に刻み込まれていて、かつ20数年経ったいまなお現在進行形であることを皆様にお伝えすることであろう。私の判官贔屓は差し引いても、マクナブ本人がブックレットで認めざるを得ないと言うように、彼等最初の作品にして最高傑作、のみならずポップロック、ポップミュージックの名盤の一枚に数えるべき素晴らしい作品ではないかと思う。

 スケールの大きいロマンチシズムをたたえた彼独特の夢見るような音楽の出発点。どの曲も身体に染み込んでしまているので全曲がお薦めだが、ヒットした名曲の02 "Love Is A Wonderful Colour"や09 "Birds Fly( Whisper to A Scream )"、それにこれぞ個人的ネオサイケデリック、勢いのある演奏とメランコリックな叙情性という彼等らしさが存分に味わえる01 "Chop the Tree"、"04 As the Dragonfly Flies"、08 "Factory In the Desert"、10 "Nirvana"、このあたりがとりわけ印象的。

Disk Two

01. All Is Right
02. When Winter Lasted Forever
03. Love Hunt
04. Reverie Girl
05. Gun Boys
06. Love Is a Wonderful Colour [Long Version]
07. Waterline [USA Version]
08. In the Dance the Shaman Led
09. Devil on Horseback
10. Mountain Comes to Mohammed
11. Birds Fly (Whisper to a Scream) [Frantic Mix][Mix]
12. Scarecrow
13. Ragweed Campaign
14. Atheist
15. Nirvana [Live]

 アイシクル・ワークスのコアなファン、特に1stをこよなく愛する向きにとって、このDisk Two-1982年〜1984年のラジオセッション、ミックス違い、B面曲集-は最高の贈り物である。01、02は1982年1月26日のBBC Radio One、ジョン・ピール・ショーでのセッション。若さと勢いで迫る、まさに1stアルバムの原石のようなネオサイケデリックな楽曲、演奏だが、イアン・マクナブならではポップセンス、ダイナミックな歌心は既に脈打っている。03は聴き覚えがあるが、一体どこで聴いたのか思い出せない。1982年11月25日のBBC Radio One、デヴィッド・ジェンセン・ショーでのセッション。サビで爽やかに抜けて行くマクナブ節はまさに彼等そのもの。どんどん1stに近づいて来ているのがわかる。

 04、05の2曲は1983年の名シングル"Birds Fly"のSituation Twoからの初期盤B面に収録されていた。彼等の作品に捨て曲がないということは、こういう曲を聴けばわかるのでは。やっぱり1st周辺の曲は格別の魅力を湛えているなと実感する。

 ヒット曲"Love Is A Wondeful Colour"のロングバージョンである06を聴きながら相変わらず自虐と自尊の明滅する、それでいてユーモアを忘れない、いかにもイアン・マクナブらしい自らのライナーを読んでいると、不覚にも胸が詰まる。

「2006年6月にリヴァプールの雨の夕刻、リスニングルームに坐り、この新たにリマスターされた輝くようなヴァージョンをヘッドフォンで聴きながら、何が心に浮かんだか?  何と自分が若く純真無垢だったか。何と無邪気だったか。何と頭デッカチだったか。何と利口で、何と愚かで、何とキュートで、何と才能に恵まれているか、ということだ。」

「80年代はポピュラーミュージックにとって最悪の10年である。それはその時代が作り出したアーティスト、それにその時代が記録し表現した方法という点からしてだ。アイシクル・ワークスは80年代のエンターテイメントのいくつかの罪を犯した。しかしおそらく、商業的な売り上げと批評筋での評価の点で我々をしのいだ多くのアーティストよりも、その罪は少なかっただろう。我々のバンドにはボノのようなダサいマレット(左右が短くて後ろが長い髪型のこと)はいなかったが、時代という恐怖には屈した。たとえば、大袈裟なゲートリヴァーブのかかったスネアドラム(ブルース・スプリングスティーン)に、シューシュー言うデジタルキーボード(殆ど皆がそうだった)、遠回しで間抜けで、いかにも深遠であると考えたがる歌詞(エコー・アンド・ザ・バニーメン、REM)、もう見ることが出来ない糞ビデオ(デュラン・デュラン)。しかしそのどれも本当は問題ではなかった・・・。我々はそこにいた・・・君たちもそこにいた・・・それはまるで魔法のようだった・・・」

本当に。魔法のような時代だった、80年代。


 07はアメリカ盤LPに収録されたバージョンらしい。シングル"Love Is A Wonderful Colour"のB面に収録されていたバージョンともちょっと違う気がするのだが、どうなんだろうか。リズムボックスと美しい12弦のアコースティックギターが奏でる08は、その"Love"のB面曲。まさにその80年代の魔法。ネオサイケデリックな幻想の世界に連れて行ってくれる。09はそのシングルのダブルパックバージョンにしか収録されていない曲。尽きることなく湧き出て来る曲想がまさに若さの証。10はBBC Radioのデヴィド・ジェンセン・ショーでの1983年11月29日のセッション。割と荒いソングライティングかと思いきや、サビでまさにアイシーズならではの展開に。11は06とともに名曲のロングバージョン。当時の「12インチシングル」というフォーマットを懐かしく思い返すことができる。12、13は再録音され84年に再びリリースされた"Birds Fly"のB面曲。12弦ギターが心地良い12、さらにスケールの大きくなった13ともに、既に2ndアルバムに向けて動きだしていることがよくわかる。14、15は実は2ndアルバムのシングル"Holow Horse"のB面曲で、特に14はここではずいぶん毛色が違って聞こえるけれど、これはもう2ndの世界に入って来ているからだ。たぶん15が1stの曲"NIrvana"のライブ(クレイジーで素晴らしい! ヘッドセットマイクを付けたマクナブが目に浮かぶ)なので一緒に入れたのだと思うけれど、ここにこれらの曲まで入れてしまうということは、2ndアルバムはリマスタード盤として出す予定はないのだろうか? もしそうだとしたら、ちょっと残念。
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by penelox | 2008-04-08 22:43 | CD備忘録

The Statue In the Stone - Bronze (2002)

 「ノーザンソウル・ロックンロール・ギターバンド」-80年代に英国New Castleを拠点に2枚のアルバムをリリースしたフラー!の元メンバー、ポール・ハンディサイドの新しいプロジェクトであるBronze(ブロンズ)を一言で形容するとこうなりそうだ。

 ノリの良いモータウン風ギターソウルで賑やかに迫る01 "Let It Rain"からして、前のバンドにあった熱がそのまま継承されていて、嬉しくなる。リッケンバッカー12弦ギターの幽玄な響きが心地良い02 "Presence Of Greatness"にしても、パワーポップ的な03 "How Long"にしても、親しみ易いメロディーを基盤に、彼の熱いボーカルはレイドバックすることなく、その英国北部の風景が目に浮かぶような引き締まった表情を崩さない。それに何より、抑えようとしてもとめどもなく湧き出すといった感じの、夢見るような心の疼きをそのまま音にしたかのような音像・・・このあいだやっと聴けたフラー"の1stの20年前と何ら変わっていない熱。フラー!と敢えて比較すれば、もちろんハンディサイド氏のみの世界だという違いや、メジャーとインディーの予算の差による音質の違いはある。が、キャリアを積んだがゆえにその表現はより濃密かつ多彩になっており、ヒューズ氏が書き歌う高音が印象的な柔らかな歌と並立していたフラー!とは違う統一感と、年輪を重ねた豊かなニュアンスがある。それに、時にキース・ムーンのごとく暴れるドラミングのかっこ良さがやはり現代的で、80年代よりもボキャブラリー的に自由な気がする。とは言え、あれやこれやとややこしいことをしている訳ではなく、基本はストレートなギターサウンドで、核にソウルが感じられるところがアイリッシュバンドにも通ずるロックサウンド- 結局、フラー!のDNAが現代でも本人の手でしっかり受け継がれ、その世界が深められていることが一番確認出来たところだと思う。

 上記の曲以外にもイアン・マクナブにも通ずる盛り上がりを見せる05 "Heart Of the Sun"、ストレートな07 "Just A Lie"、せつない08 "That's Not Me"、01と同じくモータウンを思わせる(これはまた英国伝統的リズムとさえ思う)シャッフル系の堅牢なビートに引っ張られて行く10 "Motel Of Love"、ソウルフルなブリティッシュロックとして捉えるとポール・ウェラーや70年代のフーが好きな向きにもお薦めな11 "Feel It Now"、アメリカンパワーポップ/フォークロックが好きな向きにぜひ聴いて欲しい12 "Time Won't Set You Free"など、溢れんばかりのエネルギーに満ちた逸品多数の好盤。
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by penelox | 2008-04-02 22:34 | CD備忘録

The Mommyheads - The Mommyheads (1997)

 70年代のアメリカンロックの自分なりに惹かれるところと言えば、シンガーソングライター的スタイルの内省的な歌、ロックンロール、フォーク、ソウル、カントリー、ファンクといった音楽が、陽だまりを感じさせるオルガンと寄り添うようなギターの穏やかで丸みのある音像のなかで溶け合い、味わい深いまろやかさとして醸造される、そしてそれはアメリカという国のその時代の光と影を象徴するものゆえの苦味を伴っていて・・・といった辺りだろうか。思春期にリアルタイムで聴いた音楽ではなく(子供時代のちょっとした懐かしさはあるけれど)、New Waveを通過した後に80年代末から90年代初めになって見直し、その良さを認識したような立場なので、87年にニューヨークで結成され、アバンギャルドミュージックからスタートしたというこのバンドの、5枚目となるこの97年のアルバムで展開される音楽は、実にそんな世代ならではの解釈のアメリカンロックで、大変親近感を抱かせる。

 2ndアルバム以降サンフランシスコに拠点を移したという彼等、中心人物アダム・コーエン(レナード・コーエンの息子とは同名の別人)の書く、決して軽く弾けない、しかし重くもなり過ぎず、爽やかだが悲しみの影を常にその奥にのぞかせるメロディアスな楽曲、少しジュールス・シアーも連想させる高音で、時折感情的になるけれど決してそこに溺れず、物語として誠実に紡いで行くVoスタイルは、シンガーソングライターとしての体質を強く感じさせる。プロデューサーのドン・ウォズはきっと彼のそんなキャラクターに焦点を合わせ、このメジャーデビュー盤を70年代アメリカンロック風の味付けでまとめあげたのだと思うが、それ以前の彼等を聴いたことがない立場(XTCと比較されていたというからこれは聴いてみたいもの)からすると、実に良い感じでまとまっている。ここでよく紹介する音楽の例にもれず彼等もまた、突出した派手なヒットソングを出した訳ではないけれど、ここで聴かれる音楽は誠実なアメリカンロックのエッセンスを継承していると思う。

 残念ながらこの作品、当時のゲフィンの社内人員整理に巻き込まれてしまい、ろくにプロモートされなかったらしい。結果チャート的には惨敗、リリース翌年となる98年にはバンドは解散している。その後アダム・コーエンは(上記の同名アーティストとの)混乱を避けるために名前をアダム・エルクと改名、ソロ活動に乗り出し、現在はTVコマーシャルの音楽で成功しているという。またメンバーのひとりジェフ・パーマーはのちSunny Day Real Estateに加入したとか。ここからバンドが先に進めなかったのは残念だけれど、その解散の引き金になったであろう当時のレーベルのゴタゴタが作ったマイナスイメージと、作品そのものの魅力は全く別の話である。どちらかというと中年を迎えようかという向きにお薦めの、味わい深い傑作。01 "Jaded"、02 "I'm In Awe"、03 "Bellhop"、06 "Sad Girl"、09 "Monkey"、11 "Corky"が個人的お気に入り。
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by penelox | 2008-04-01 16:02 | CD備忘録