晴れぬ雲間に少年が見たものは・・・

Watanabe's Pop Picks 140
"Please Please Please Let Me Get What I Want" - The Dream Academy
from the single "Please Please Please Let Me Get What I Want"(1984)


 今日はちょっと疲れてますので、まずはこの歌で一息つかせてください。心地良過ぎるぐらい心地良いこの曲、いわずもがな、ザ・スミスのカヴァー。

 そうか・・・1984年にカヴァーしてたとは、ずいぶん早かったんですね。




清涼感が染みてきますねえ。インストでもどうぞ。




歌詞もつけましたので、いかがでしょう、歌ってみては。

Good times for a change
See, the luck I've had
Can make a good man
Turn bad

So please please please
Let me, let me, let me
Let me get what I want
This time

Haven't had a dream in a long time
See, the life I've had
Can make a good man bad

So for once in my life
Let me get what I want
Lord knows, it would be the first time
Lord knows, it would be the first time



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 8/9のmixi日記で紹介したのはドリーム・アカデミー版でしたが、原曲のザ・スミスのことに触れない訳には行きませんね。10代の終わりから20代初め、彼らもまたずいぶん聴きました。特に弟が大ファンだったので、イヤでも一日中聴かされる・・・そんな存在でしたね。この曲を初めて聴いたのはもちろんコンピレーションアルバム"Hatful Of Hollow"。実に、あっけに取られる程世離れした清涼感が印象的だったのを覚えています。それはまた、ネオアコースティックと当時呼ばれた音楽に共通する特徴でもあったのですが。

■Please Please Please Let Me Get What I Want (live) - The Smiths




b0022069_15394829.jpg ネオアコースティックという動きはそもそも、何だったのでしょうか。私なりにつらつらと思い出してみますに、やはりPunk/New Waveの潮流の一部であって、もちろん今でも瑞々しい要素は沢山ありますが、時代の産物、そんな印象は強いですね。時代は1982,3年頃。パンクの稚拙なソングライティングに見られる保守性や、殊にハードコアパンク勢に巣食う旧態たるロックマッチョイズム、テクノロジーや見た目に依存し過ぎた音楽(シンセポップ、ニューロマンティクス)・・・などなどに対する反動として取り上げられるようになったものだったと思いますが、そうやってひとつ何かが盛り上がっていると、それに対しての健全な批判勢力が出て来るというのもまたNew Waveの面白かったところで、聴き手としては結果的にそれで色んな音楽にアクセスするきっかけにはなったと思いますね。まぁ、旧来のロックに対するカウンターであるという足かせをはめられたNew Waveの場合特に、常に何か新鮮なところのある音楽でなくてはならず、メディアが火を付けて盛り上げ続けたという意図的な側面も当然あるのでしょうけれど。

 ともあれ、このネオアコースティックの場合特に斬新だったのは、ロックミュージックの象徴とも言えた都市生活の喧噪や倦怠感、冷酷さ、怒り、攻撃性の表現といったものから、視点をガラッと変え、郊外や自然、人間的温かみや優しさ、穏やかさの方に移したことだったのではないでしょうか。そこが当時のPunk/New Waveの盲点でもあった訳ですが、おかげで、それまで保守的と非難の対象に挙げられていたような、職業作曲家による完成されたポップ音楽のなかに「過激さ」を見い出す、という方法論が成立して行く訳です。これはむしろ職人的技巧への理解や嗜好の点では先を行っていたのであろう日本ではより分かりやすい切り口だったので、のちにより大きく受け入れられて行ったのかも知れません。

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 ザ・スミスはそんなネオアコースティック勢のなかでも、キラキラした、センスの良いギターサウンドと、詩作に表出する50~60年代の英国文化への偏愛、英国労働者階級の日の当たらない人々の暮らしへの眼差しが、当時のアメリカ産を中心とする極度に産業化されたロックに対するアンチテーゼ足り得ていたのですが、しかし初期は頑としてPVも作らなかった彼らです。遠い日本ではそれがなかなか伝わらず、伝わり始めた頃には解散してしまった。ですから、目撃出来ないまま終わってしまったという無念さが日本のNew Waveファンの中に広がっていて、それがのち伝説に拍車をかけたようにも思います。


b0022069_15402158.jpg そうやって伝説になったザ・スミス。現在では音楽業界やロックファンにとって、80年代音楽のある象徴のひとつであるのは間違いないでしょう。もちろん私にとってもそうなのですが、私の場合、ある象徴と言っても、当時New Waveファンだった向きによくあるパターンだと思うのですが、少なくとも遠く離れた日本で聴いていたとは言え、リアルタイムでしたから、どこか自分の思春期と重ね合わせているところがありましてね。ですから、大袈裟なことに(笑)、彼らの解散とともに自分のなかでも何かが終わったと感じたんですね。そんなですから、のちに日本で伝説が大きくなって行くことに対してはやや醒めた視線を送っていたと思います。それゆえ、その後彼らに対する見方にはずいぶんと経年変化があって、いまでは、ザ・スミスはあくまで過去に留まるもので、決して現在のものではない、慈しむ懐かしい想い出に過ぎない・・・そんな意味合いも強く含んでしまいます。

 彼らの音楽に改めて向き合ってみれば、彼らにはジョニー・マーのすべてギターで完結させてしまうかのような、饒舌なギターサウンドと、時にそれとは全く関わらないほど独立した、きわめて個性的なモリッシーの歌唱と詩作というふたつの強固に完成された世界があって、主にそのふたつの組み合わせが爆発力/凝集力になることもあれば、平行線に終わる場合もあり、そのチームのいつ終わるとも限らぬギリギリの綱渡り、不安定さゆえにただのポップミュージックからはみ出たロックバンドに成り得た・・・そんな見立てになりますね。
 

 今の私はというと、その後自分が音楽創作に多少関わったせいもあって、シンガーとギタリストのソングライティングチームよりもシンガーソングライター(がいるバンド)への関心の方が強いですし、ロックミュージックの瞬発的な破壊力よりも、バランスよく完成されたポップミュージックの時代を超えた持続的要素への思いの方が強いので、彼らのよく出来たポップシングルは時々聴きますが、アルバムをずっと流しっぱなしにしておく・・・ということはもうしないんですよね。それではまるで当時弟が同じ部屋でやっていた十代の儀式 - お経としてのロック - になってしまう(笑/ 実際当時入って来た親から何やこのお経みたいなんは? と言われたことがあるのですが、今ではそれはある意味的確な表現にさえ思えるんですよね)。もうさんざんやりましたし、そんなに時間もないですしね(苦笑)。要は、ハタチ前後の心には実に強烈に突き刺さったものを、今の自分は正直言ってさほど必要としていない、それも認めざるを得ないということです。そして、そのことをもはや悲しいと思っている訳でもない。つまりは、40過ぎでは当たり前に思えるのですが、もはや私は彼らの良い聴き手ではなく、もし聴くとしてもそれはあくまで、ああ、ああいう時代があったね、という、今では遠い昔になってしまった、メランコリックな心情が張り付いて剥がせなかった80年代半ばに対する供養・・・そんな聴き方になってしまうんですよね。

 で、何故そんな供養を今更思い出してしまったかというと、仕事の影響ですね。先日教えた高校三年生の行状に - 具体的に言うとあまりのアンバランスな、幼稚で単なる我が侭に過ぎない甘えた内面と、それを隠す為にだけ機能している大人ぶった言葉遣いとのギャップに - つい自分の10代のメランコリックな日々を思い出してしまったという訳なのです。ああ、俺もこういうところあったかなぁ、とかね(苦笑)。そもそも真っ正面から十代の子にぶつかるというのは、自分のなかの十代を無理矢理にでも叩き起こして、向き合う行為でもある訳で。大人が上から説教する・・・だけでは、生徒の心の水面を波立たせることさえ出来ず、何の説得力も持てない時があります。だからこちらも説得力を持たせるために、色々思い出さなくてはなりません。この年代は自分と真剣に向き合ってくれる人間をどこかで希求していて - 要は愛情に飢えている訳ですが- 、無茶なことをしては相手が本気で、心から怒ってくれる人かどうかをうかがっている・・・これはいつの時代でもある程度そうなのですが、特に近年は一人っ子が多く少子化ですから、昔に比べてもっとひとりひとりが孤独で、距離がある。兄弟や友達とのやり取りを通してコミュニケーション能力を培う、というような場面がかなり減ってるんですね。幼い頃から親と一対一になりやすく、悪くすると親のエゴに振り回されてしまうのも問題です。多彩な社交関係を伴った交流の機会が与えられないと、色んな局面での豊かな繋がりも、想像力も育ちにくい訳です。アンバランスな程親(母親)の監視下で育ち、当然対等ではない親子関係ばかりに偏る子供時代というのは、私はあまり良いことではないと思います。もう20年ぐらい色んな生徒さんを見て来ていますが、もちろん持って生まれたものもありますし、世の中全体の風潮も大きいのですけれど、幼い頃から親の視線や罰ばかり気にして育った子には、世の中というものを強いものには媚び、弱いものを叩けばいい、そういう風に短絡的に見がちになったり、あるいは早いうちから簡単に大人を見切ったり、聞いているふりをして説教を受け流す能力ばかり発達してしまったりと、本当に人と心でやり取りすることが下手になるように思います。まぁ今はそんな風にして、早いうちから親が真剣に子供と格闘出来なくなっている場合が非常に多いので、父親の役割、兄弟の役割を家庭教師がしないといけなくなることが増えているのです。で、子供がしでかす行状に、つい色々思い出してしまうという訳です。疲れますが、まぁそれでスミスを思い出したのも何かの縁なのでしょう(笑)。

 まぁ、それはさておき。


 今やモリッシーの詩作に自分の心情をいつもいつも重ね合わせる、ということは出来ないし、本当かどうかは別としても、彼が抱えていたものの大きなところも、色々見えて来てしまうのかも知れません。スミスの作品は素晴らしかったし、今も素晴らしい。だけど、私にとってはナイーヴだった10代を象徴する過去のもので、もはや遥か遠くで鳴っているものでもあるんですよね。でもそれは、生きて行けばそうなっても仕方ないことなんでしょうね。生きて行けば行くほど、愛することが出来るようになる・・・これはフロック・オブ・シーガルズでしたね(笑)。


 ともあれ、これだけ色々考えさせてくれたあの生徒に、感謝しないといけないのかも知れませんね(笑)。



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シングル "Please Please Please Let Me Get What I Want"(1984) - このシングルはよく聴いたものです。









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コンピレーション"Somewhere In the Sun...Best Of the Dream Academy"(2000)









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by penelox | 2009-08-11 15:48 | Pop Picks


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