継続、もしくは閉塞は力なり、そして恩返しとしての創作

 突然生徒が熱を出したので、時間が空いてしまった。これを活かさない手はない。創作のアイデアを求めて、普段通り道になっている駅で降り、親戚が住んでいる周辺を歩いてみる。幼い頃によく訪れた街並が今ではまるっきり変わってしまっていて、面影がもうほんの少ししかないのは分かり過ぎるぐらいわかっているのだけれど、五感が刺激されるのか、いまだに色々とアイデアが湧いて来る。この街での朝の爽やかさや、夕暮れの切ない感じ、そんなに離れてないのにちょっと違うと感じた文化や言葉遣い、街の空気・・・そんな記憶を身体が覚えているのだ。その親戚の家の前にいた大きな犬が生きている訳もない。もう35年も前なのだから。なのに、ついこないだ吠えられたような錯覚に囚われる。こうやって、時間を超えた感覚に入り込んで行くのは結構大事。アタマのなかで、昨日作ってみたXTC+コステロなスケッチに、ここで咄嗟に浮かんだ歌詞を乗せてみると、また違う表情が生まれそうな気がして来た。

 アルバムに入れたいがタイトル、歌詞がどうもしっくり来なくてどうしようかと迷っている曲があった。最初の方向で色々アタマをひねってみたが、何か政党のスローガンか何かみたいで嫌だった。最初はたいてい、そういう一般的な物事を一般的に語ろうとする自分がいるのだ。しかし、そこから、曲と格闘する事でどんどん心が衣服を脱ぎ始める(笑)。そうやって、曲が無意識的に求めているものと底で化学反応しそうな言葉が出て来る。しかしまだ踏み込みの時間が足りないのか、心がそのテーマでまだ脱ぐ覚悟がないのか、韻を踏める言葉が浮かばなくて昨夜は玉砕。

 が、今朝、ニュースをみたり、PCでもらったメールなどを読んだりして言葉の海に漂っていると、何やら韻を踏めそうな良いフレーズが浮かんで来た。こういうことがあるから音楽創りをやめられない。よく、結果だけみて色々仰る方もいるが、創作の大半は先天的なものよりも後天的、技術云々より気持ち - より詳しく言えば努力と好奇心が、何より好きだという楽観的な思いに支えられ底で動き続け、チョロ火で燃え続ける -  そんな、意志の力ではないだろうか。閉塞した状況になればなるほどそう感じる。そういったものは今まで常に次へのステップだったし、これからだってきっとそうに違いない・・・。音楽を創るモードに入り始めると、こういうことをよく考えます。



 親戚の家の近くの空気を嗅ぎに行く(?)というのは、少し行き詰まるとよくやる解決法のひとつ。mixiの日記の方には書かなかったけれど、ここに来ると、祖母の亡骸に接し、その足で仕事に行ったあの日のことをどうしても思い出す。あれは異様に爽やかに晴れ渡った土曜日の朝だった。子供の頃寝泊まりした部屋に寝かされた亡骸の前で、心の中はすみませんでしたという言葉で一杯だった。もっともっと訊くべきこと、話すべきことはあったはずなのに、そうはっきりと意識し始めたころにはもうその人はいない。その、悔いの念がここに来るとどうしても重く心に浮かんで来る。それと、あの日の奇妙なコントラスト。もう動かない祖母の亡骸の、全く動かない物体としての、生きてはいないけれど不思議と感じられたエネルギーと、まだ生き始めてそんなには経っていない、まさしく生き物そのものの高校生のはじけるようなエネルギー、その対比。あれは本当に忘れられない。よく、生と死は隣り合わせ、という言葉をきくけれど、あの日はまさにそうだった。

 そんなことを歌詞の中に織り込んで行くのも、もしかしたら祖母への恩返しになるのかも知れない。
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by penelox | 2009-12-16 23:45 | 日々雑感


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