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報道発ドキュメンタリ宣言 「チェルノブイリ放射能25年の闘い」

 チェルノブイリ原発事故から25年が経過した今年2011年の4月23日、30日にテレビ朝日で放送されたドキュメンタリーです。この番組が放送された段階ではまだ東京電力はメルトダウン(炉心溶融)を否定していましたので、まだ福島第一原発がそうなっていないという前提での作りになっています。

ぜひ御覧ください。

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(ネットにあった番組紹介より)

4/23
 番組ディレクターが単身、チェルノブイリ原発を取材。職員の年間被ばく量上限は2万5千マイクロシーベルトで、月の半分だけ働き残りは区域外へ退避する。4号炉は石棺で覆われており、1986年に火災が鎮火した後に残された放射性物質を閉じ込めている。

 チェルノブイリ原発内の石棺を目指して取材。1号炉正面口から回り、防護服を着込み外へ放射性物質を持ち出さないように配慮。運転停止後も3500人の作業員が24時間体制で働いており、石棺入口にはポンプ質で消息を経った職員を称えたレリーフが飾られていた。

 チェルノブイリ原発では安定化作業という危険な作業が現在も行われており、防護服を着ていても作業員が中にいられる時間は10分しかない。欧米の資金援助により2015年を目指して新石棺プロジェクトが進んでいるが、作業はあまり進んでいない。

 立ち入り区域にある「ブリャコブカ放射性廃棄物保管所」に核廃棄物が運ばれ、内部には翼をもぎ取られたヘリコプターなどもあり機械の墓場と呼ばれている。これらの重機は事故当時、鉛や土の投下に使われ、処理に当たった人も一生分の放射能を浴びた。

 危険区域であるパリシュブ村に半ば強引に戻った老夫婦を取材。チェルノブイリ原発が起こった当時、避難させられたが都会の生活に馴染めず戻ってきた。食料は自給自足だが政府は定期的に食料の測定を行っており、現在基準値の4.3倍のストロンチウウムを検出している。


4/30
(ネット上の番組紹介を編集)

 現在のチェルノブイリ原発を取材。チェルノブイリで爆発事故が起きた際、原発からわずか10mのところにいて奇跡の生還を遂げた人物を取材。

 東日本大震災の翌日、モスクワにいた彼は原発事故のニュースに注目していた。彼もチェルノブイリ原発事故の際被ばく。現在でも治療を続けている。同じく被ばくした同僚は同じ病院に運ばれたが16日後に死亡している。

 チェルノブイリから約50km離れた避難民の街・スラブチチを取材。街には食品専用の放射能測定所があり、市民たちは安心して野菜などの売り買いを行っている。また放射能専門の病院があり、定期健康診断や治療を無料で行っている。



by penelox | 2011-11-06 10:35 | 震災/原発関連+社会全般


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