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Wonderwall / Oasis

from album "(What's The Story)(Morning Glory?" (1995)

11/4
「関西人の正体」(井上章一・著)、再読終了、「英国ありのまま」(林信吾・著)を再読開始。本の読み直しというのが好きだ。それも、数年経ってからまた読むのが良い、あれ、こんな内容だったかな?ということがたくさんあって、それでまた、その本の印象が新たになり、記憶も鮮明になる。

前者は、少し前の本なので(阪神大震災より前)、神戸に関する記述が抜け落ちたままになっているのが残念だが、いまだに雨後のタケノコのごとく次から次へと登場する薄っぺらい「関西論」並びに「関西ナショナリズム」に対する、著者独特の違和感、アンビバレントな立ち位置が改めて感じられて良い。後者は、これまたチマタに蔓延する「英国絶賛本」に対するカウンターになっていて、面白い。

にしても、この本、「中公文庫」から出ていて、あとがきに田原総一朗が出て来てヨイショしているのは、ちょっと怪しい気が。というのは、著者のあるエッセイ本がかつて、中央公論社の読売による買収の際、ナベツネに遠慮して(著者に無断で)勝手に一部の原稿(読売批判の項)を抜かれたという話を読んだから。それに抗議した著者が原稿を引き揚げたとか...詳しい経緯はまたどこかで書きたいけれど、そういう事があったらしい。田原が最近ナベツネとの対談本(というよりヨイショ本)を出していたことを考えると、これ、ナベツネの差し金(あるいは遠回しな打診で)懐柔策として田原があとがきを書いて手打ちにしたとか、なんかそんな風にも取れる。

考え過ぎか? 後で挙げる本を読むとそうも思えなくなって来るのだ。



最近はブリットポップも真剣に聴き始めている。
当時は正に脇目もふらず自分の音楽創作に夢中で、このあたりは正面から受け止めていなかった。既視感というか、あんまり新鮮味がない音楽が多かったのも事実だが。80年代に60年代まで辿ってしまうと、いわゆる「ブリットポップ」にはなんら新しいものは感じなかった。言い換えればつぎはぎのリメイクにしか聴こえなかったのだ。しかしそれは、90年代に音楽を作るものの宿命という要素もあって、それが自分の立場ではわかり過ぎるぐらいわかる...近親憎悪であり、同世代としての歯がゆさもあった訳だ。そしてあまりにシステマティックな商業主義のあざとさ。これが余計音楽そのものを受け取りにくくさせていた。

オアシス。
いまだにそんなに良い曲が多いとも思っていないバンドだが、2ndアルバムのこの曲と"Don't Look Back In Anger"は残る曲だと思う。彼等のレパートリーの多くは私にはちょっとヒネリがなさ過ぎて、せっかくNew Waveが営々と築き上げて来たものを全部無視したような屈託のない60's/70's引用趣味(それならNew Wave勢の方がひねったぶん遥かに愛情を感じる)に、Wonderwall / Oasis_b0022069_1428616.gif私(悲しいかなオアシスと同世代!)は正直恥と感じ、その深みのない先祖帰りに反発も覚えたものだが、下の世代は(そのNew Waveの築き上げたものを否定したかのような態度に快哉を覚え)「はじまりの音」「自分世代の音」、とみなしたであろう。

90年代の「グランジ」「ブリットポップ」というのはある種の分岐点だった。ロックにおける「ムーブメント」というものが、「世代交代」という名のもとにあそこまであざとく新規開拓的、商業的エッジが効いてると、かえって前世代の多くは音楽自体を評価する気もおきなかったのではないか。音楽というのものは、そうやってまずマーケティングありきであって欲しくない...そう思う人は多い。何故なら音楽というものの内部に込められた思いや夢が、単なる商品であることを拒絶している場合もあるからだ。

もともと音楽を作りたい、音で何かを表現しよう、という行為は人間の太古の昔から綿々と続いてきた、ある種プリミティヴで人間独自の営為であり、一方音楽を商品として売るようになったのは、まだせいぜい20世紀になってから本格化した歴史の浅い行為だ。人間にとってこのやり方を突き詰めて行くことが本当の意味で、長い目で見て得策なのかはまだ答えが出ていないのである。だから商業主義が(どう変容しようと)本当に人間を幸せにするかどうかは、常に見張る必要があるのではないだろうか。

音楽は、買って消費し、捨てるような類いのものであってはもったいないと思う。販売される表現というものは、(皮肉な事に)商業主義に対して、その内部から見張れるのであり、そこには他の消耗品とは違う可能性が内在していると思う。「グランジ」「ブリットポップ」を消費した当時の若者が、それに気付いていたのか、今その年代をみても非常に懐疑的にならざるを得ない。納得の行くその世代の音楽評さえ、見たことがないからだ。世代間論争など不毛だが、やはり単なる気分や10代の思いのたけだけでは音楽の核心には触れられない。

音楽(というか、表現)の本質をしっかり見据えないと、状況はますますひどくなるばかりだ。今や商業主義は既に日常にまとわりついているもうひとつの皮膚のようなものなのだから。これは自戒を込めて。

まあともあれ、10年経って、当時の状況の不快さから離れ、やっと「ブリットポップ」を冷静に聴けるようになるような気がしている。
by penelox | 2005-11-04 17:15 | 90年代


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