前回までのメインライター、マシュー・エドワーズ氏へのインタビューに続き、栗原淳さんへのインタビューをお届けします。彼女のこれまでの活動(ネロリーズ〜ソロ〜ミュージック・ラヴァーズ)も見渡した、大変貴重なお話がきけたのではないかなと思います。
私watanabeがネロリーズを初めて知ったのは、90年の夏。奈良のぼうしレーベルからいただいたカセットテープに収録されていた"Cadillac For Montevideo"、まだポルスプエストからCDを出す以前の彼女達のその曲は、まさに今何かが動いている事を感じさせるもので、当時24歳の貿易会社社員(私)は、大いに刺激を受け、更にデモ作りに励んだものです。そのわずか1、2年後には同じレーべルに在籍することになるとは、思いもよらなかった. . .。 そんな、個人的な思い入れもちょっと加わった、特別なインタビューとなりました。 栗原淳インタビュー(1) ミュージック・ラヴァーズのメンバーとして ーThe Music Lovers加入のいきさつを改めて、教えていただけませんか? 簡単に言うと、モノクローム・セットのビドが、テッドに私を紹介したというのがきっかけです。 もう少し詳しく言うと、当時2004年でしたが、ビドがアメリカツアーをしたいと思っていて、アメリカの各都市で自分のバックバンドをしてくれる人たちを探していたのです。私がサンフランシスコに住んでいることを彼は知っていましたから、私にも打診があって、テッドにも別に打診があった。それで、テッドがそのとき、アコーディオンを弾ける人を探しているという話題を出したら、ビドが私をテッドに紹介した、というわけです。 ー入ってみてどうでしたか? 立場としては、メインライターではありませんよね? もともと自分が中心で音楽創作をされてたのが、そういうポジションでバンドのメンバーになるというのは、如何でしたか? 非常に学ぶところが多い、というのが本音です。 特にアレンジをしていく過程が非常に面白い。技術的なレベルが高いというのもありますが、お互いに化学反応を起こしてひとつの曲を作っていくという作業がこんなに面白いものなのか、と毎回思います。以前は私が曲を書いて、アレンジもだいたい頭の中にあって、というパターンが殆どでしたから、今やっているようなことははっきり言ってしたことがありませんでした。こういうのはやはり、人が作った曲だから自由な発想で取り組めるのではないかと思います。 もう一つ、このバンドに参加したころ私は修士課程の最後の年で、論文を書かなければならなかったため、もう毎日毎日本や資料を家にこもって読み、図書館にも何時間も居座るというような生活でしたので、外に出て音楽をやるというのは精神衛生上よかったです。それも、自分のバンドではないから細かいことはしなくていい、ただ演奏すればいいという立場ですから、良いリクリエーションという感じでもありました。 ーもし差し支えなければ、ですが、大学では何を勉強されてたのですか? というか、そもそも、アメリカに渡られた理由からおききすべきでしょうか(もし不都合でなければ、教えて下さい)。 サンフランシスコに初めて行ったのは99年で、Moonraceという私のソロプロジェクトのライヴをするのが目的でした。その時、いろんな人と知り合いになったのと、また、サンフランシスコっていい所だなあと思ったのがそもそものきっかけでしょうか。 それとは別に、大学時代にネロリーズをやっていたせいもあって、あんまり真面目に勉強しなかったのに後悔している面もありまして、また学校に戻るのもいいなあ、と思っていました。結局、サンフランシスコ州立大学の大学院に入れましたので、そこで比較文学を専攻して、3年半ほどかかってMaster of Arts, いわゆる修士号を取得しました。よその大学に移って博士課程に進むというのも考えたのですが、もう自分の限界かも、と思ったし、日本に帰って、いろんなつてで大学で教えることもできるかもしれない、などという思いもあって結局博士課程はやめることにしました。でも結局こちらで結婚してしまったし、今は仕事も見つかり、サンフランシスコにある翻訳エージェンシーでプロジェクトマネージャーや編集者をやっています。この仕事はなかなか面白いですよ。もともと日本の大学でも仏文でしたし、アメリカでも比較文学というと、翻訳理論なんかも含んでいますので、勉強したことを結局仕事に生かすことができた感じです。 しかし、今でも文学と音楽はやはり自分のコアになるもので、この二つの分野で将来また表現をしたいと思っています。 ー今、バンドではどんな役割を果たしていますか。担当楽器はもちろんわかりますが、それ以外に何か果たしてる...みたいなのはありますか? 平均年齢の引き下げと、ビジュアルでしょうか(笑)。 ー今回のアルバムでは個人的にテーマ、課題としていたこととか、何かありましたか? プロデュース的な面で、アイデアがあった場合はがんがん通しました。選曲に関してもバンド内で一時意見が割れたことがありましたが、反対しているメンバーを必死に説き伏せたりしました。自分の曲というのはどうしても客観的に見られないけれど、人の作った曲というのはとても公平に見ることができるので、個人の思い入れではなく、美的側面、芸術的側面を大事にしようと思いました。 ー日本人が全くいないバンドにいる、というのは如何ですか? 大変な事などありますか 大変だと思ったことは全くないです。特に音楽の話になると、私もイギリスやアメリカの音楽を聴いて育ちましたから、バンド内で「こういう感じ」などというニュアンスを伝える場合でも、みんなで分かり合うことができます。 ネロリーズ時代 ーネロリーズ時代についてです。今、改めて振り返ったりすることはありますか? そうですね、まあ、ありますね。 特にアメリカに来てからでも、ネロリーズを知っている人に出会ったりしますし、やっていて良かったと思います。The Music Loversでカレッジラジオに出演することがたまにあるのですが、そういう局に行くと、ネロリーズのレコードを持っていたりするので、たまにかけてもらってますよ。 ー私は個人的にはポルスプエストに所属していたこともあって、デビュー当時の10代ぐらいのおふたりを見ているのですが、あの頃、自分の置かれた状況にどれぐらい意識的でした? 当時「ネオアコ」的、「渋谷系」的なムード、というのがあって、どこか業界デッチ上げ風の女性デュオ(注・ちょっと言い方に語弊があるかも知れませんね。栗原さん、そして関係者の皆様、申し訳ありません)に仕立て上げようとしてるような風潮があったように思うんですね。でも、そういうのにおふたり自身はホイホイ乗ってる感じはしなかった。あくまで自分のやりたい事を貫いてる感じがしたものです。ご本人たちはそういうの、どう感じてたのかなって思ったんですよ。また、周囲からのプレッシャー、みたいなのはありました? 当時は、周りには騙されないぞ、と思っていましたが、今から考えるとやっぱり何にも世の中のことがわかっていませんでしたね。ポルスプエストというのは不思議なレーベルで、実態は東芝というメジャーですから、まあ言えばレーベル自体の目標はあっても、理想というものは殆どなかったと思います。純粋なインディペンデントではなく、誰も自腹を切ってレコードを作るわけではないですから、向こうもどこまでレーベルとしてやっていることを気に入っているのかよくわかっていなかったはずです。そのため、すべてが中途半端に終わってしまったのだと思います。 ネロリーズというバンドに商品価値はあったんだろうけど、レーベルも変にアーティストの個性を大切にするという妙な政策をとっていたので、結局商品価値に対する見返りがあまり得られなかったというのが今の私の見方です。あと、宣伝とかもいまいちどうやっていいのかわからなかったんでしょうね。 (注・当時のポルスプエストのプロデューサー鶴田氏はのち宇多田ヒカルを売り出し有名になった。また、彼女の話によると、ソロ時代のディレクターがその後椎名林檎の担当になって成績を伸ばし、また同時代のマネージャーはその後Avexに移り、浜崎あゆみのディレクターとなり成功したとの事) ーそうですね。私も当時、レーベル自体がそもそも英国インディーからしてよくわかってないな...という感じが凄くしましたね。「今、サラレーベルの勉強してるんです」なんて言われて力が抜けたもんでした(苦笑)。まあ、仕方なかったのでしょうけれど。その後出て来たレーべルなんかの方が、もっと上手かった。ポルスがやった事を元に して、うまく立ち回ってましたよ。そういう意味では、ポルスはまだある種試金石的 な側面が強かった気がしますね。「こんなレーベル、どうしたら良いんですかねぇ〜」 みたいな事、若手社員に相談された事ありましたからね。私も一応アーティストやっ ちゅうの(笑)。 そんな感じでしたね。レーベルももっと割り切って、商品価値を基準にして商売するべきだったと思います。 ー当時鶴田さんと新幹線で東京までずっと一緒だった事があるんですけど、ヒップホップとかR&B系とかNY最先端(?)のレコードをやたら抱えてたんで、後になって思うとその頃から宇多田ヒカルのお父さんなんかと接触があったのかなぁと思ったものでした。 そうですか。鶴田さんは流行に敏感でしたね。まさに業界人というか。これも80年代糸井重里的な表現ですが。それでも私は鶴田さんのことは今でも嫌いじゃありませんよ。ロンドンとかニューヨークとか、いろんな場所に一緒に行って、楽しいこともいっぱいありました。彼も所詮サラリーマンですから、最終的にはトップからの指示でレーベルをたたむことになったけど、今でもあのレーベルを任されてたら、いい線いってたんじゃないでしょうか。 ー当時はどういう音楽を作ろう、という明確な理想はありました? 最初から英国音楽への知識と愛情が強くありましたよね。当時どういう音楽をよく聴いていたんですか? ギタリストのカズミさんはどうでした? 好みに関してはかなり共通してました? 当時は、だいたいイギリスのインディーバンドです。パステルズとか、サラのバンドとかひととおり全部好きでした。マンチェスターのバンドも好きで、よくクラブに行っていました。こういう音楽を作ろうという明確な理想はなかったと思います。もっと自然に自分の中から出てくるような感じでした。それがオリジナリティに結局つながったのかもしれません。 和美ちゃんについては、中学生くらいのときには私がミックステープ(懐かしい)なんかを作ってプレゼントしていたような気がします。後々彼女はフレンチポップとかラウンジミュージックが好きになっていましたね。 ー中高生の頃って、同じような音楽が好きな人って、周りにたくさんいました? 当時のイメージでは、天才少女二人組、という印象でしたが、学校では目立つ存在だったのでしょうか。 同じような音楽を聴いている人は全然いませんでした。そのせいで年上の友達が多かったです。大学に入ると、ちらほら同じような趣味の人がいて、先輩にもいろいろ面白い人がいたので楽しくなりました。大学時代に知り合った人たちとは今でも仲良くやっています。 ーNelories album discography Mellow Yellow Fellow Nelories(1992) Daisy(1994) Starboogie(1995) (part 4に続く)
by penelox
| 2006-06-05 23:59
| The Music Lovers
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